何ちゅう先生や。
2003年7月14日テストラッシュの中日である今日は、図書館資料論のテスト。持ち込み可だったのでテキストとレジュメを手にして教室へ。
テスト直前、テキストを購入していない人たちは「どうしよう、どうしよう」と呟いていた。先生が教室に入ってきてテスト問題を配り、言った。
「テキスト持っていない人どれくらいいますか?2冊までなら予備があるから貸せますよ。」
どんなテストや!!
教室の後方では十数人がジャンケンでテキストを奪い合う。そんなテストが難しいはずなく、ほとんど休んでいなくてテキストもレジュメもコンプリートしていた僕は時間にまぁ余裕を持って終わらせることができました。
今週の木曜にはゼミ室で「裏ゼミ」と呼ばれるテスト情報交換会があるのだが、それを待ちきれない(待っているとテストがどんどん終わって単位がやばい)奴が勝手に「裏裏ゼミ開催します」と宣言していたので、その必死さにあきれ返り、冷やかしてきた。テスト情報1つあげたのに寝坊して受けられない奴だから、もう特に何かしてやるつもりはない、うちのゼミは毎年1人は留年しているので、今年はこいつかな?
4限では話の展開上、先生に指差されて「Ugly!!」と言われたりしつつ、講義でかかってた一ノ瀬泰造氏のドキュメントのビデオに見入っていた。銃弾を受けた、30年前のカメラに写っていたネコの姿。ベトナム戦争で彼が亡くなっていなかったら、50代後半になる彼はイラク戦争でもありのままを写していたのだろうか。時にはネコの視線で。
講義後に、学部棟のロビーに一緒に取っている同期2人+先輩で行くと、ぞくぞく集まってくるうちのゼミのメンバー。就活で滅多に姿を見せない人もいたのでプチ同窓会風味だ。さらに別の場所にいた先輩にまで電話をかけて会いに行き、最後では車に乗ってきていた方に頼み込んで家の近所まで送ってもらう。
スカイラインは6人乗っても大丈夫です。
テスト直前、テキストを購入していない人たちは「どうしよう、どうしよう」と呟いていた。先生が教室に入ってきてテスト問題を配り、言った。
「テキスト持っていない人どれくらいいますか?2冊までなら予備があるから貸せますよ。」
どんなテストや!!
教室の後方では十数人がジャンケンでテキストを奪い合う。そんなテストが難しいはずなく、ほとんど休んでいなくてテキストもレジュメもコンプリートしていた僕は時間にまぁ余裕を持って終わらせることができました。
今週の木曜にはゼミ室で「裏ゼミ」と呼ばれるテスト情報交換会があるのだが、それを待ちきれない(待っているとテストがどんどん終わって単位がやばい)奴が勝手に「裏裏ゼミ開催します」と宣言していたので、その必死さにあきれ返り、冷やかしてきた。テスト情報1つあげたのに寝坊して受けられない奴だから、もう特に何かしてやるつもりはない、うちのゼミは毎年1人は留年しているので、今年はこいつかな?
4限では話の展開上、先生に指差されて「Ugly!!」と言われたりしつつ、講義でかかってた一ノ瀬泰造氏のドキュメントのビデオに見入っていた。銃弾を受けた、30年前のカメラに写っていたネコの姿。ベトナム戦争で彼が亡くなっていなかったら、50代後半になる彼はイラク戦争でもありのままを写していたのだろうか。時にはネコの視線で。
講義後に、学部棟のロビーに一緒に取っている同期2人+先輩で行くと、ぞくぞく集まってくるうちのゼミのメンバー。就活で滅多に姿を見せない人もいたのでプチ同窓会風味だ。さらに別の場所にいた先輩にまで電話をかけて会いに行き、最後では車に乗ってきていた方に頼み込んで家の近所まで送ってもらう。
スカイラインは6人乗っても大丈夫です。
ある意味非日常から日常へ。
2003年7月13日起きたら昼だった。
12時半起床。11時半ごろ一度起きたが二度寝。起き上がると「歯軋りしてるね」と言われる。2年程前、兄に指摘されてはじめて気がついたのだが、やはりショックだ。歯にも悪いし。
そういう軍鶏氏は寝てても絶え間なく動いている。寝返りペースが速い。
チャンネルを変えると、昨年の高校生クイズのダイジェストをやっていた。前にも書いたけど、やっぱり1度出てみたかったなぁ。今年のも楽しみ。でも司会はまた福澤さんにやってほしいかも。
日曜にスーツ着るのも何だかな……と思ったがこれしか服がない。上着を脱いでワイシャツを出して、
ぼ「こんな格好だったら高校生に見えんかな?」
軍「いや無理(即答)」
後で本屋に行き、「私立高校受験案内」の制服特集を見て少しだけ研究しました。制服でブランド物ってどうなのかなー、と学ランの高校出身者は思う。
松屋で牛丼を食べて、駅で軍鶏氏とお別れ。
お世話になりました。気の置けない会話を思う存分できました。片付けもほとんどせずに申し訳ない…。
家に帰り着くと、現実に切り替えてあさって提出のレポートを書く、書く、書く。明後日はテスト2枚にこのレポート提出。自分の誕生日に物凄く苦しい目に遭わなければいけないのもどうかと思うが仕方ない。司書過程なので落としても卒業に影響しないのだが、1科目5000円払っていると思うと落とせない、と現金なことも考えている。
レポートも完成。
明日もテストなんで、勉強しますかね。
12時半起床。11時半ごろ一度起きたが二度寝。起き上がると「歯軋りしてるね」と言われる。2年程前、兄に指摘されてはじめて気がついたのだが、やはりショックだ。歯にも悪いし。
そういう軍鶏氏は寝てても絶え間なく動いている。寝返りペースが速い。
チャンネルを変えると、昨年の高校生クイズのダイジェストをやっていた。前にも書いたけど、やっぱり1度出てみたかったなぁ。今年のも楽しみ。でも司会はまた福澤さんにやってほしいかも。
日曜にスーツ着るのも何だかな……と思ったがこれしか服がない。上着を脱いでワイシャツを出して、
ぼ「こんな格好だったら高校生に見えんかな?」
軍「いや無理(即答)」
後で本屋に行き、「私立高校受験案内」の制服特集を見て少しだけ研究しました。制服でブランド物ってどうなのかなー、と学ランの高校出身者は思う。
松屋で牛丼を食べて、駅で軍鶏氏とお別れ。
お世話になりました。気の置けない会話を思う存分できました。片付けもほとんどせずに申し訳ない…。
家に帰り着くと、現実に切り替えてあさって提出のレポートを書く、書く、書く。明後日はテスト2枚にこのレポート提出。自分の誕生日に物凄く苦しい目に遭わなければいけないのもどうかと思うが仕方ない。司書過程なので落としても卒業に影響しないのだが、1科目5000円払っていると思うと落とせない、と現金なことも考えている。
レポートも完成。
明日もテストなんで、勉強しますかね。
ぱーっと。
2003年7月12日予定が合ったので、久しぶりに軍鶏氏(お気に入り参照)と御飯でも、という事になった。お互いアクセスしやすいところで待ち合わせして、近くのロイヤルホストへ。
なんだかんだ言って、ロイヤルホストは好きだ。高級感は漂うが落ち着いて食べられる。滅多に来ないためにドリンクバーがあるのは知らなかったが。豆腐サラダにおろしハンバーグをぱくつき、近況の報告やらとりとめない話をする。
落ち着いて食べられるが、やはり外ではあまり手放しな話はできない。2時間ほど居座った後に、軍鶏氏の家に移動。途中、TUTAYAでラーメンズのビデオを借りて。この時点で僕は、もう家に帰るのが面倒だったので泊めてもらおうと考えていた。
ラーメンズ、僕は見たことなかったのだが軍鶏氏をはじめいろんな人からお薦めされている。今回は「椿」というビデオ。「日本語学校英語編(?)」を見てみた。
この2人は勢いで押すタイプだと思う。これは歴史上の人物の名前をどんどん出してボケに繋げていくのだが、「西園寺公望」とか、高校3年のとき以来心の洞窟に封印していたような名前を出してくるあたりが僕の意表をついて、ツボに入ることも何度か。ただ、同じボケを何度も連続させたりすることがいくつかあり、少しくどいと思ったことも。他のネタも見てみようかな。
それから、僕が以前やった漢字と一般常識のテスト問題をたまたま鞄から発掘したので軍鶏氏に挑戦してもらった。「異常気象」を度忘れしたらしく唸っていた。しかし彼は一般常識は僕より大分強い。僕ももっと新聞やら週刊誌やら読まないと。
そして11時。
軍鶏氏「最近カラオケとか行ってなくてねー。」
ぼの「ん?行く?」
軍鶏氏「………行くか?」
行ってきました。
この日の僕の格好はスーツだったのでそのままカラオケに行くのも微妙と言えば微妙だったのだが。近所の30分200円のカラオケボックスで2時間、熱唱と言えば熱唱。今日は喉があまり良くなかったので「さくら(独唱)」も上手く歌えなくて何だか少し。引かれるのも構わずCoccoを2曲歌い、歌詞覚えてないくせに曲入れて撃沈したり、自分の思うがままにやっていた。軍鶏氏はなんだかんだ言って歌が上手い。GO!GO!7188歌って998点(1000点満点)出した時はびっくりした。
都はるみの「ふたりの大阪」にはまりそうです。
帰ってきたら酒盛り。
正直、あまり記憶に残っていない……疲れも手伝って酒の回り早かったしな。
だらだらと喋っていたら窓の外が明るくなってきたんで、5時ごろお開きで寝ましたとさ。
なんだかんだ言って、ロイヤルホストは好きだ。高級感は漂うが落ち着いて食べられる。滅多に来ないためにドリンクバーがあるのは知らなかったが。豆腐サラダにおろしハンバーグをぱくつき、近況の報告やらとりとめない話をする。
落ち着いて食べられるが、やはり外ではあまり手放しな話はできない。2時間ほど居座った後に、軍鶏氏の家に移動。途中、TUTAYAでラーメンズのビデオを借りて。この時点で僕は、もう家に帰るのが面倒だったので泊めてもらおうと考えていた。
ラーメンズ、僕は見たことなかったのだが軍鶏氏をはじめいろんな人からお薦めされている。今回は「椿」というビデオ。「日本語学校英語編(?)」を見てみた。
この2人は勢いで押すタイプだと思う。これは歴史上の人物の名前をどんどん出してボケに繋げていくのだが、「西園寺公望」とか、高校3年のとき以来心の洞窟に封印していたような名前を出してくるあたりが僕の意表をついて、ツボに入ることも何度か。ただ、同じボケを何度も連続させたりすることがいくつかあり、少しくどいと思ったことも。他のネタも見てみようかな。
それから、僕が以前やった漢字と一般常識のテスト問題をたまたま鞄から発掘したので軍鶏氏に挑戦してもらった。「異常気象」を度忘れしたらしく唸っていた。しかし彼は一般常識は僕より大分強い。僕ももっと新聞やら週刊誌やら読まないと。
そして11時。
軍鶏氏「最近カラオケとか行ってなくてねー。」
ぼの「ん?行く?」
軍鶏氏「………行くか?」
行ってきました。
この日の僕の格好はスーツだったのでそのままカラオケに行くのも微妙と言えば微妙だったのだが。近所の30分200円のカラオケボックスで2時間、熱唱と言えば熱唱。今日は喉があまり良くなかったので「さくら(独唱)」も上手く歌えなくて何だか少し。引かれるのも構わずCoccoを2曲歌い、歌詞覚えてないくせに曲入れて撃沈したり、自分の思うがままにやっていた。軍鶏氏はなんだかんだ言って歌が上手い。GO!GO!7188歌って998点(1000点満点)出した時はびっくりした。
都はるみの「ふたりの大阪」にはまりそうです。
帰ってきたら酒盛り。
正直、あまり記憶に残っていない……疲れも手伝って酒の回り早かったしな。
だらだらと喋っていたら窓の外が明るくなってきたんで、5時ごろお開きで寝ましたとさ。
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「おゆうぎ」
2003年7月11日幼稚園や小学校のイベントと言えば、「おゆうぎかい」がすぐに思い浮かぶだろう。しかし僕はお遊戯は一度しかしたことがない。殆どが何故か「おんがくはっぴょうかい」で、お歌を歌ったり楽器を演奏してばかりだった。だから生涯一度きりの「おゆうぎかい」の内容はけっこう覚えている。
幼稚園年長。やったのは「しらゆきひめ」だった。これは配役を数えてみると白雪姫に王子、お妃、魔女、猟師、7人の小人、鏡役がいればいいので13人いれば事足りるのだが、うちのクラスの場合。まず白雪姫が6人いた。王子様、猟師、魔女は3人ずつ。小人の数は変わらなかったので7人。お妃も複数いたはずだ。鏡役はいたか覚えていない。最低でも23人が出演している。クラス全員参加が原則だったのだ。
僕は小人の役で、いつもの体操服に緑のベスト、緑の三角帽子でシャベルを担ぐといういでたちだった。当時6歳にして身長が130に届こうかという大男だった僕になぜ小人の役が回ってきたのかは理解に苦しむ。ベストも小さくて、袖を通す時に窮屈な思いをしたものだ。
劇の内容は一般的に知られているストーリーに沿っていて、白雪姫は美しくてお妃は鏡が白雪姫が一番と言うので嫉妬し、猟師に暗殺を命じるが失敗するので魔女に毒リンゴを食べさせるように言う。つーか、6人の姫が全員一番美しいというのもどうなんだろう。6つ子か?
3人の魔女が6人の姫にリンゴを配り、リンゴを食べた6人はバタバタと倒れる。その光景はなかなか壮観で、まるで集団食中毒のようだ。
帰ってきた小人が見たのは変わり果てた白雪姫の姿。「白雪姫が死んじゃった」と僕は最初で最後のセリフをここで放った。もうちょっと長いセリフが欲しかった。結構登場時間は長いんだから。
ここで不意に現れる王子。3人。おいおい悲しんでいる小人に白雪姫のことを聞いて、王子様のキスで目覚めさせる……のはやはり教育的配慮で駄目だったのか、1人の王子が2人の姫を揺り起こす。それで目覚める姫たち。死んだんとちゃうんかい。姫は御礼をいい、王子と一緒にダンスを踊ってめでたしめでたし。最後にみんなで記念写真。
……なんて変な劇なんだろう。せめて姫を揺り起こすのだけは勘弁して欲しかった、と今更思う。
実際の白雪姫はそれはそれで怖いんですがね。お妃は猟師に白雪姫の臓物を持って帰ってくるよう命じるし、王子は美しい白雪姫の死体(何故か腐らない)を従者に命じて箱に収め、ずっと共に運ばせるし。それに嫌気が差した従者が箱を蹴飛ばすと、喉に詰まったリンゴが飛び出て姫は生き返るし。そして姫と王子は結婚。お妃は結婚式に招待され、行ってみるととっつかまって真っ赤に焼いた鉄の靴を履かされ死ぬまで踊らされる……。
童話って怖いですね。本当に。
幼稚園年長。やったのは「しらゆきひめ」だった。これは配役を数えてみると白雪姫に王子、お妃、魔女、猟師、7人の小人、鏡役がいればいいので13人いれば事足りるのだが、うちのクラスの場合。まず白雪姫が6人いた。王子様、猟師、魔女は3人ずつ。小人の数は変わらなかったので7人。お妃も複数いたはずだ。鏡役はいたか覚えていない。最低でも23人が出演している。クラス全員参加が原則だったのだ。
僕は小人の役で、いつもの体操服に緑のベスト、緑の三角帽子でシャベルを担ぐといういでたちだった。当時6歳にして身長が130に届こうかという大男だった僕になぜ小人の役が回ってきたのかは理解に苦しむ。ベストも小さくて、袖を通す時に窮屈な思いをしたものだ。
劇の内容は一般的に知られているストーリーに沿っていて、白雪姫は美しくてお妃は鏡が白雪姫が一番と言うので嫉妬し、猟師に暗殺を命じるが失敗するので魔女に毒リンゴを食べさせるように言う。つーか、6人の姫が全員一番美しいというのもどうなんだろう。6つ子か?
3人の魔女が6人の姫にリンゴを配り、リンゴを食べた6人はバタバタと倒れる。その光景はなかなか壮観で、まるで集団食中毒のようだ。
帰ってきた小人が見たのは変わり果てた白雪姫の姿。「白雪姫が死んじゃった」と僕は最初で最後のセリフをここで放った。もうちょっと長いセリフが欲しかった。結構登場時間は長いんだから。
ここで不意に現れる王子。3人。おいおい悲しんでいる小人に白雪姫のことを聞いて、王子様のキスで目覚めさせる……のはやはり教育的配慮で駄目だったのか、1人の王子が2人の姫を揺り起こす。それで目覚める姫たち。死んだんとちゃうんかい。姫は御礼をいい、王子と一緒にダンスを踊ってめでたしめでたし。最後にみんなで記念写真。
……なんて変な劇なんだろう。せめて姫を揺り起こすのだけは勘弁して欲しかった、と今更思う。
実際の白雪姫はそれはそれで怖いんですがね。お妃は猟師に白雪姫の臓物を持って帰ってくるよう命じるし、王子は美しい白雪姫の死体(何故か腐らない)を従者に命じて箱に収め、ずっと共に運ばせるし。それに嫌気が差した従者が箱を蹴飛ばすと、喉に詰まったリンゴが飛び出て姫は生き返るし。そして姫と王子は結婚。お妃は結婚式に招待され、行ってみるととっつかまって真っ赤に焼いた鉄の靴を履かされ死ぬまで踊らされる……。
童話って怖いですね。本当に。
楽しみ×辛さ÷2
2003年7月3日「ゼミで、今度女の子だけで飲むんだってさ。」
だから我々は男呑みを計画した。
幸いうちのゼミは男が少なく、こういうことの舵は取りやすい。2,3,4年生で出席を取り、合計11人で、「和気あいあい」という焼肉屋で決行。
ここはとても安くて良い。コースを選べば、食べ放題呑み放題で2070円(税込)だ。呑みものを注文して早速始めるか……と思ったのに、ビールサーバーの交換中で5分待ってもビールが来ない。僕は1人だけ青りんごサワーを注文していたので速攻で届き、寂しそうなサワーを目の前にうろたえ気味だ。
10分ほど待ってやっとビール到着。ビール×10+青りんご1で派手にジョッキを鳴らして肉を焼く。焼く。
焼くのはいいが、加減を知らないもの多数。次から次へと打ち寄せる肉皿の波。しかも脂身多め。食いきれるかい。鶏肉とかカルビとか美味しかったのだが、いくら貪っても減ることのない肉に我々は白旗を揚げるしかなかった。途中で頼んだ大根サラダの爽やかさがどれだけ舌と胃を休めたか。
男だけで呑むと、話はどうしてもその方向に傾いてしまうんでしょうかね。まだアルコールも入っていない時から、もし女の子がいたら眉を顰めるじゃすまない会話が飛び交う。主導権を握っているのは4年(1浪2留24歳)のKさん。やめてくださいって。人が頼んだカルピスサワーを卑猥な表現で呼ばないでください。スーパーフリーを羨ましがらないでください。キャバクラとか風俗の解説をはじめないでください。その近くでは、同期のS(一浪21歳)がエロビデオ講座開いてるし。やめんかい。
酒が入ると当然のように拍車がかかった。呑みの席でもある程度健全に行きたかったんだがなぁ……。そんなことを望んだのが間違いだったようだ。
2次会のカラオケではなんとか健全路線に戻ってくれたので一安心。光るGENJIを熱唱しても喜ばれるのが嬉しい。喉の調子がよかったので「さくら(独唱)」も上手く歌えていい気になり、「地上の星」を歌ったら喉潰しかけた。何で。
2次会終了時、0時。天気予報では夜から雨、と言っていたがかなり雨脚が強くなっていた。僕はどうしても太鼓の達人がやりたかったので、うちに泊まる予定になっていたSを連れて20分ほど歩いたところにあるゲーセンに。
行っている途中で、さらに雨が強くなってきた。水はけが良くない道路には水が溜まりだし、行く手を阻む。Sの傘はどこか小さな穴が空いていたのか、内側に水が染み出す始末。ゲーセンにたどり着いたときには軽く濡れていた。外の雨はさておき、心置きなく太鼓を叩く。
1時半。雨はもっと強くなっていて、学校のプールのシャワーみたいになっていた。終電は逃した。我々には家まで30分歩いて帰るしか道は残されていない。
夜の街は雨が強い癖に意外と明るい。電灯があるのかなんて確かめる余裕もなかった。はじめは水溜りを避けていたのだがいつしか歩く度に靴の中がジュポジュポ言い出し、あまり拘らなくなった。はじめは普通に今後のゼミとか下級生とのコミュニケーションとか今日の感想を言い合っていたが、だんだん言葉はお互いを励ますものに変わっていく。家が見えたときにはもう精神はボロボロで、砂漠の町から町へと渡り歩く旅人ってこんな感じかな、と思った。
シャワーで体を温めて服を乾かし、すぐに寝る。熟睡するのに時間はかからなかった。
だから我々は男呑みを計画した。
幸いうちのゼミは男が少なく、こういうことの舵は取りやすい。2,3,4年生で出席を取り、合計11人で、「和気あいあい」という焼肉屋で決行。
ここはとても安くて良い。コースを選べば、食べ放題呑み放題で2070円(税込)だ。呑みものを注文して早速始めるか……と思ったのに、ビールサーバーの交換中で5分待ってもビールが来ない。僕は1人だけ青りんごサワーを注文していたので速攻で届き、寂しそうなサワーを目の前にうろたえ気味だ。
10分ほど待ってやっとビール到着。ビール×10+青りんご1で派手にジョッキを鳴らして肉を焼く。焼く。
焼くのはいいが、加減を知らないもの多数。次から次へと打ち寄せる肉皿の波。しかも脂身多め。食いきれるかい。鶏肉とかカルビとか美味しかったのだが、いくら貪っても減ることのない肉に我々は白旗を揚げるしかなかった。途中で頼んだ大根サラダの爽やかさがどれだけ舌と胃を休めたか。
男だけで呑むと、話はどうしてもその方向に傾いてしまうんでしょうかね。まだアルコールも入っていない時から、もし女の子がいたら眉を顰めるじゃすまない会話が飛び交う。主導権を握っているのは4年(1浪2留24歳)のKさん。やめてくださいって。人が頼んだカルピスサワーを卑猥な表現で呼ばないでください。スーパーフリーを羨ましがらないでください。キャバクラとか風俗の解説をはじめないでください。その近くでは、同期のS(一浪21歳)がエロビデオ講座開いてるし。やめんかい。
酒が入ると当然のように拍車がかかった。呑みの席でもある程度健全に行きたかったんだがなぁ……。そんなことを望んだのが間違いだったようだ。
2次会のカラオケではなんとか健全路線に戻ってくれたので一安心。光るGENJIを熱唱しても喜ばれるのが嬉しい。喉の調子がよかったので「さくら(独唱)」も上手く歌えていい気になり、「地上の星」を歌ったら喉潰しかけた。何で。
2次会終了時、0時。天気予報では夜から雨、と言っていたがかなり雨脚が強くなっていた。僕はどうしても太鼓の達人がやりたかったので、うちに泊まる予定になっていたSを連れて20分ほど歩いたところにあるゲーセンに。
行っている途中で、さらに雨が強くなってきた。水はけが良くない道路には水が溜まりだし、行く手を阻む。Sの傘はどこか小さな穴が空いていたのか、内側に水が染み出す始末。ゲーセンにたどり着いたときには軽く濡れていた。外の雨はさておき、心置きなく太鼓を叩く。
1時半。雨はもっと強くなっていて、学校のプールのシャワーみたいになっていた。終電は逃した。我々には家まで30分歩いて帰るしか道は残されていない。
夜の街は雨が強い癖に意外と明るい。電灯があるのかなんて確かめる余裕もなかった。はじめは水溜りを避けていたのだがいつしか歩く度に靴の中がジュポジュポ言い出し、あまり拘らなくなった。はじめは普通に今後のゼミとか下級生とのコミュニケーションとか今日の感想を言い合っていたが、だんだん言葉はお互いを励ますものに変わっていく。家が見えたときにはもう精神はボロボロで、砂漠の町から町へと渡り歩く旅人ってこんな感じかな、と思った。
シャワーで体を温めて服を乾かし、すぐに寝る。熟睡するのに時間はかからなかった。
似合いの職業。
2003年7月2日友達に聞いてみたところ、
「僧侶」
て言われたんですが、どうリアクションすればよかったでしょうか。
この職業に自分が向いていると思ったことは一度もないのだが。
「君のお経ならずっと聞いていたいよ」
だってさ。
「僧侶」
て言われたんですが、どうリアクションすればよかったでしょうか。
この職業に自分が向いていると思ったことは一度もないのだが。
「君のお経ならずっと聞いていたいよ」
だってさ。
就職のための面接とは?
2003年7月1日先日も書いたが、僕も就職活動を意識し始める時期である。どんな情報でも欲しい。
うちのゼミには計12社から内定をもらったという凄い人がいる。とある講義で偶然出会ったので、講義後に話を聞かせてもらった。
先輩が語る就職活動体験。
とある金融の最終面接では、
「地位と、仕事と、金。どれが一番欲しい?」
と聞かれたから
「金」
と間髪入れず答えたら面接官が爆笑して
「あー、つまり稼ぎたいんだね?」と聞かれたので
「はい〜☆」
と答えると「この場で内定あげるよ!」と展開したとか。
とある住宅系では1次面接で、面接官と1対1で
「30分間自己PRして。何使ってもいいから」
と言われ、考えた結果、机と椅子を端に寄せて後ろにあったホワイトボードにバーの絵を描き始めたとか(バーテンダーのバイトをしている)。面接官に
「ちょっと何やってんの!?」と言われたら「何してもいいって言ったじゃないですか!」と言い返し、鞄からシェイカーを取り出して、真似事をはじめたらしい。
それで、「初対面の落ち込んでいる客を励ます」という一人コントを30分間やって、
「このように、私は人のいいところをすぐにたくさん見つけられます」
と締めくくった……らしい。
先輩はこの会社の面接をこう語る。
「面接官に大受けで、滅茶苦茶笑われたから、『あー、駄目かな』と思ったら通ったの。で、2次でも同じのやって、て言われたんだけど同じのやるわけにいかないじゃん?だから今度は自分の過去を30分延々喋ってさ。そしたら3次でもやらされて今度は関係ない人もギャラリーでたくさん見てんの!本当なら筆記とかプレゼンのはずなのに私だけずっと30分PRでさ!しまいには『これ面接ですよね!?私なんでこんなことしてるんですか?毎回ネタ仕込むの大変なんすよ!?』て逆切れしたの。内定もらったけど。面接行く途中に『何で私、バーテンの用具一式に酒ビンまで担いでるんだろう……」て思ったよ。」
先輩。私、あなたの真似できません。
面接ってこういうものなんですか?経験者のみなさん。
心得のほうを端的にまとめると、先輩が言うことは「自分を見失うな」と「嘘を見破れないほど面接官はバカじゃない。本心で語れ」、「自己PRは早めに練っておく」 とても参考になりました。
しかし、大手企業の内定ボコボコもらってるのに、先輩が行くのは先物取引。大手食品も住宅も、テレビ局まで蹴った。理由を聞くと「研修の待遇がものすごく良かったから、ここで1年経験積んで本当にやりたい仕事目指すんだ。」
この方なら出来そうな気がする。絶対に。
うちのゼミには計12社から内定をもらったという凄い人がいる。とある講義で偶然出会ったので、講義後に話を聞かせてもらった。
先輩が語る就職活動体験。
とある金融の最終面接では、
「地位と、仕事と、金。どれが一番欲しい?」
と聞かれたから
「金」
と間髪入れず答えたら面接官が爆笑して
「あー、つまり稼ぎたいんだね?」と聞かれたので
「はい〜☆」
と答えると「この場で内定あげるよ!」と展開したとか。
とある住宅系では1次面接で、面接官と1対1で
「30分間自己PRして。何使ってもいいから」
と言われ、考えた結果、机と椅子を端に寄せて後ろにあったホワイトボードにバーの絵を描き始めたとか(バーテンダーのバイトをしている)。面接官に
「ちょっと何やってんの!?」と言われたら「何してもいいって言ったじゃないですか!」と言い返し、鞄からシェイカーを取り出して、真似事をはじめたらしい。
それで、「初対面の落ち込んでいる客を励ます」という一人コントを30分間やって、
「このように、私は人のいいところをすぐにたくさん見つけられます」
と締めくくった……らしい。
先輩はこの会社の面接をこう語る。
「面接官に大受けで、滅茶苦茶笑われたから、『あー、駄目かな』と思ったら通ったの。で、2次でも同じのやって、て言われたんだけど同じのやるわけにいかないじゃん?だから今度は自分の過去を30分延々喋ってさ。そしたら3次でもやらされて今度は関係ない人もギャラリーでたくさん見てんの!本当なら筆記とかプレゼンのはずなのに私だけずっと30分PRでさ!しまいには『これ面接ですよね!?私なんでこんなことしてるんですか?毎回ネタ仕込むの大変なんすよ!?』て逆切れしたの。内定もらったけど。面接行く途中に『何で私、バーテンの用具一式に酒ビンまで担いでるんだろう……」て思ったよ。」
先輩。私、あなたの真似できません。
面接ってこういうものなんですか?経験者のみなさん。
心得のほうを端的にまとめると、先輩が言うことは「自分を見失うな」と「嘘を見破れないほど面接官はバカじゃない。本心で語れ」、「自己PRは早めに練っておく」 とても参考になりました。
しかし、大手企業の内定ボコボコもらってるのに、先輩が行くのは先物取引。大手食品も住宅も、テレビ局まで蹴った。理由を聞くと「研修の待遇がものすごく良かったから、ここで1年経験積んで本当にやりたい仕事目指すんだ。」
この方なら出来そうな気がする。絶対に。
美味しいとこ返せ/談義。
2003年6月29日来週が楽団の演奏会本番なので、今日はだるくても休むわけにいかない。最近講義が忙しくて疲れが溜まってきているのだが。
今日練習で使った会場は、街中のために窓を開けて練習できない。最高気温が30度超えても、部屋が蒸し風呂状態でも、我々は耐えるのみだ。
今日の練習は気になるところを手直しした後に、本番でも使うホールに移動してリハーサル。リハーサルのことを「ゲネプロ」て言う人が多いが、「ゲネプロ」て何語なんだろう。
今回のメイン曲は合唱が入るのだが、参加してくださる合唱団の方が総勢で66名だと言う。今更言うのもなんだが、多すぎやしないだろうか。今回我々の楽団で演奏会に出演する人数より多い。それはいいとしても、合唱を際立たせるために演奏のほうの人数を削ったりソロを削除したりしているのがなんとも悔しい。物凄く美味しいところを全部切られてしまった。どっちがメインの演奏会なのかわからない。確かに合唱入ると音が豊かになっていいのだが。
リハーサルが始まったのは19時ごろだったので、終了したのは21時過ぎ。片付けしていると帰途についたのは22時だった。さすがに夕飯を作る気力は残っていない。そこで、司書さんと話して近くの「めしや丼」に。一緒に帰っていたホルン吹きさんと3人で遅い夕飯。
僕が「もう大学3年だから……」と就職関連の話題を振ると、それはもうかなりの勢いで心構えから今やっておくべきこと、面接対策などレクチャーしていただいた。さすがに経験者は強い。「勢いで言ってるだけだから」とか「適当だよ」と仰っていたが、どれもこれも的を射ている。また、お2人とも世界が広く色々な考え方ができるタイプなので、自分では気がつかなかったことも教えていただいた。
1つのことに捕らわれず、色々なことに目を向けながら、効率よくやっていきたい。
今日練習で使った会場は、街中のために窓を開けて練習できない。最高気温が30度超えても、部屋が蒸し風呂状態でも、我々は耐えるのみだ。
今日の練習は気になるところを手直しした後に、本番でも使うホールに移動してリハーサル。リハーサルのことを「ゲネプロ」て言う人が多いが、「ゲネプロ」て何語なんだろう。
今回のメイン曲は合唱が入るのだが、参加してくださる合唱団の方が総勢で66名だと言う。今更言うのもなんだが、多すぎやしないだろうか。今回我々の楽団で演奏会に出演する人数より多い。それはいいとしても、合唱を際立たせるために演奏のほうの人数を削ったりソロを削除したりしているのがなんとも悔しい。物凄く美味しいところを全部切られてしまった。どっちがメインの演奏会なのかわからない。確かに合唱入ると音が豊かになっていいのだが。
リハーサルが始まったのは19時ごろだったので、終了したのは21時過ぎ。片付けしていると帰途についたのは22時だった。さすがに夕飯を作る気力は残っていない。そこで、司書さんと話して近くの「めしや丼」に。一緒に帰っていたホルン吹きさんと3人で遅い夕飯。
僕が「もう大学3年だから……」と就職関連の話題を振ると、それはもうかなりの勢いで心構えから今やっておくべきこと、面接対策などレクチャーしていただいた。さすがに経験者は強い。「勢いで言ってるだけだから」とか「適当だよ」と仰っていたが、どれもこれも的を射ている。また、お2人とも世界が広く色々な考え方ができるタイプなので、自分では気がつかなかったことも教えていただいた。
1つのことに捕らわれず、色々なことに目を向けながら、効率よくやっていきたい。
楽しみ。
2003年6月28日リバーダンスのチケットゲット!!
先行予約情報を悉く見逃してきた。確実に手に入れるには、チケットぴあ店頭に並ぶことだ、と思って始発も辞さない構えだった。それで友達に行列が少ないぴあの情報を聞いていたのだが、立川のぴあは土日祝にチケット発売の場合、前日に整理券が配られると聞いたので立川にそれ目当てで言ってきた。
整理券の配布は19時からなのだが、講義が2限までだったので、1度家に帰っても15時には立川に着いてしまった。駅前のドトールで本を読みながらココアをちびちびやって待つ。同じ日に嵐のチケットも発売だったので、もしかしたらすごい行列ができるかも……と心配していたのだが、18時半になっても6人しかいない。もう少ししてから並び、8番で整理券入手。
というわけで、今朝チケット購入しました。S席18列!遠いかなー、と思ったけど、舞台を見渡すことを考えればちょうどいいかも。
さぁ、11月までわくわくしながら待ちましょう。
先行予約情報を悉く見逃してきた。確実に手に入れるには、チケットぴあ店頭に並ぶことだ、と思って始発も辞さない構えだった。それで友達に行列が少ないぴあの情報を聞いていたのだが、立川のぴあは土日祝にチケット発売の場合、前日に整理券が配られると聞いたので立川にそれ目当てで言ってきた。
整理券の配布は19時からなのだが、講義が2限までだったので、1度家に帰っても15時には立川に着いてしまった。駅前のドトールで本を読みながらココアをちびちびやって待つ。同じ日に嵐のチケットも発売だったので、もしかしたらすごい行列ができるかも……と心配していたのだが、18時半になっても6人しかいない。もう少ししてから並び、8番で整理券入手。
というわけで、今朝チケット購入しました。S席18列!遠いかなー、と思ったけど、舞台を見渡すことを考えればちょうどいいかも。
さぁ、11月までわくわくしながら待ちましょう。
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そうかあ。
2003年6月25日サークルの代表が、この演奏会で代表を降りると宣言した。
まだ3年の前期、彼女の学部はこれから実習等で忙しくなる学部なのだがまだ早いんじゃないかな、と少し思った。けど、彼女がもう決めたことなんでとやかく言う気もあまりない。
で、代表をやったこと、今回代表を降りることについていろいろ書いていたのだが、
「吹奏楽としてはまだまだでも、私にとってこのバンドは完璧なんです。私の理想も期待も軽く越えました。」
「何よりも、みんなが楽しんでくれていることがとても嬉しい。みんなの力があったからここまでこれました。なきゃできなかった。」
昨年の初演奏会の時もいろいろ思ったけど、また、もう1度。
サークルができた直後の初顔合わせのみ、2人しか参加しなかった会議、少ない人数で苦労した新入生勧誘、3人で合奏したこととか。初の演奏会、…………今まで。
彼女がサークル立ち上げなかったら、僕は平日はずっとヒマに過ごしていたんだろうか。彼女が代表じゃなかったらどんなことになっていたんだろう。
彼女はただ代表を降りるだけで、これからは平のメンバーとして活動を続けるんだけれども。あぁ、代表降りちゃうんだな、と思うと。
少し、泣けた。
まだ3年の前期、彼女の学部はこれから実習等で忙しくなる学部なのだがまだ早いんじゃないかな、と少し思った。けど、彼女がもう決めたことなんでとやかく言う気もあまりない。
で、代表をやったこと、今回代表を降りることについていろいろ書いていたのだが、
「吹奏楽としてはまだまだでも、私にとってこのバンドは完璧なんです。私の理想も期待も軽く越えました。」
「何よりも、みんなが楽しんでくれていることがとても嬉しい。みんなの力があったからここまでこれました。なきゃできなかった。」
昨年の初演奏会の時もいろいろ思ったけど、また、もう1度。
サークルができた直後の初顔合わせのみ、2人しか参加しなかった会議、少ない人数で苦労した新入生勧誘、3人で合奏したこととか。初の演奏会、…………今まで。
彼女がサークル立ち上げなかったら、僕は平日はずっとヒマに過ごしていたんだろうか。彼女が代表じゃなかったらどんなことになっていたんだろう。
彼女はただ代表を降りるだけで、これからは平のメンバーとして活動を続けるんだけれども。あぁ、代表降りちゃうんだな、と思うと。
少し、泣けた。
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ちっぽけな演奏会/ガサ入れかと思った。
2003年6月24日大学でも吹奏楽をやっているが、ここはできて2年目のちっぽけなサークルだ。それでも今では20人弱が集まり、年に数回キャンパスの一画を借りて演奏するようになっている。今日が本番だった。
軽食堂が入っていて学生の憩いの場となっている建物のロビーを借りてセッティング……なのだが、僕は2限にサボれない講義が入っていてどうしても手伝えず、講義が終わると急いでやってきてすぐに演奏、というあわただしい形になった。
演奏会の予告はしたものの、まだ全然本格的とは言えないのでホールを借りるような危ない真似はできない。小さな一画で十分だ。観客も30人程度だがそのほうが逆に安心する。曲も5曲、30分程度の演奏だし。
今回はクラシカルなのを1曲、後はラテンにディズニー音楽、ニューミュージックと今考えてみればやけにバランスが良い。真面目なのと派手なもの、ゆっくりで耳障りのいいものを交互に取り入れたので聞いてくださった方にもおそらく聞きやすく、楽しんでいただけたのでは、と思う。ラテンの曲をやったあとは人数の割に大きな拍手がもらえて嬉しかった。これがあるから音楽ってやめられない。
もう1部、4限後の部も終わり記念写真も撮って後片付けもし、さぁこれから打ち上げだ、と思っていると急に父から電話。何事かと思って取ると
「今新幹線で東京向かいよんやけど夜空いとるか?」
何でこんなに突発なんだ。今から打ち上げ……。
しかし、父にこの前会ったのは3月、サークルで呑んだのはこの前は5月、そして、偶然なのだがこの日は父の誕生日であった。いくら演奏会の打ち上げと言っても、滅多に会えなくなった父の、それも誕生日に会おうと誘われたのに行かないのは親不孝だろう。
打ち上げを無理言ってキャンセルしてもらい、待ち合わせ場所の新宿に向かった。「西口改札で」と言ったのに「中央西口」に出てしまう父。何となく予想はしていたが。3ヶ月ぶりじゃさすがに殆ど変わっていない。
「何食おうか?」と言いながら歩いていると、父が「広島風お好み焼き」の文字に惹かれていたので、「自分の誕生日くらいもっとええもん食え」と止める。年に1度なんだから。
結局、居酒屋の和民で乾杯。たくさんの料理と酒を前に真面目な話と与太話。父は何やらベトナムに住みたいらしい。理由を聞くと
「物価も安いし1000万もあれば従業員20人の工場も持てるんぞ。料理も美味いしゴルフ場もたくさんあるし。」
もちろん止めました。酔っ払いの言うことだと思って。
腹いっぱい食べて2時間半ほど入り浸り、父は五反田のホテルへ、僕は帰宅。思ったことは、香川だろうが東京だろうが、自宅だろうが居酒屋だろうが、やってることは一緒だ、てこと。雰囲気や会話を作るのは場所じゃない。
軽食堂が入っていて学生の憩いの場となっている建物のロビーを借りてセッティング……なのだが、僕は2限にサボれない講義が入っていてどうしても手伝えず、講義が終わると急いでやってきてすぐに演奏、というあわただしい形になった。
演奏会の予告はしたものの、まだ全然本格的とは言えないのでホールを借りるような危ない真似はできない。小さな一画で十分だ。観客も30人程度だがそのほうが逆に安心する。曲も5曲、30分程度の演奏だし。
今回はクラシカルなのを1曲、後はラテンにディズニー音楽、ニューミュージックと今考えてみればやけにバランスが良い。真面目なのと派手なもの、ゆっくりで耳障りのいいものを交互に取り入れたので聞いてくださった方にもおそらく聞きやすく、楽しんでいただけたのでは、と思う。ラテンの曲をやったあとは人数の割に大きな拍手がもらえて嬉しかった。これがあるから音楽ってやめられない。
もう1部、4限後の部も終わり記念写真も撮って後片付けもし、さぁこれから打ち上げだ、と思っていると急に父から電話。何事かと思って取ると
「今新幹線で東京向かいよんやけど夜空いとるか?」
何でこんなに突発なんだ。今から打ち上げ……。
しかし、父にこの前会ったのは3月、サークルで呑んだのはこの前は5月、そして、偶然なのだがこの日は父の誕生日であった。いくら演奏会の打ち上げと言っても、滅多に会えなくなった父の、それも誕生日に会おうと誘われたのに行かないのは親不孝だろう。
打ち上げを無理言ってキャンセルしてもらい、待ち合わせ場所の新宿に向かった。「西口改札で」と言ったのに「中央西口」に出てしまう父。何となく予想はしていたが。3ヶ月ぶりじゃさすがに殆ど変わっていない。
「何食おうか?」と言いながら歩いていると、父が「広島風お好み焼き」の文字に惹かれていたので、「自分の誕生日くらいもっとええもん食え」と止める。年に1度なんだから。
結局、居酒屋の和民で乾杯。たくさんの料理と酒を前に真面目な話と与太話。父は何やらベトナムに住みたいらしい。理由を聞くと
「物価も安いし1000万もあれば従業員20人の工場も持てるんぞ。料理も美味いしゴルフ場もたくさんあるし。」
もちろん止めました。酔っ払いの言うことだと思って。
腹いっぱい食べて2時間半ほど入り浸り、父は五反田のホテルへ、僕は帰宅。思ったことは、香川だろうが東京だろうが、自宅だろうが居酒屋だろうが、やってることは一緒だ、てこと。雰囲気や会話を作るのは場所じゃない。
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思い出してしまったんで、書かせてください。
2003年6月23日中学校1年の時に僕のクラスに国語を教えに来てくれていたのは、図書館の管理もしていたI先生という女の先生だった。始めの自己紹介できっぱりと「45歳です」と年齢を言い、「この年になるともう隠そうなんて思わないんです」と言って笑う、朗らかな人だった。
「みんなが覚えやすいように」と、独自に「I式」という助動詞や変格活用の歌を作り、それを教卓の前で踊る人だった。左手を腰に当て、右手を振って歌って踊っていた。「東京のダンサーみたいやろ」と言って笑う、かわいい人だった。今でもはっきり思い出せる。サ行変格活用の踊りや助動詞の歌。
図書館では、僕に本の楽しさを教えてくれた。僕がエッセイを好きになったのは先生がさくらももこのエッセイを薦めてくれたのがはじめだった。何となく水滸伝を読みたくなったときも探してくれて、どんな話か簡単に教えてくれた。うどんが大好きなことも知り、何度も情報交換やうどんトークを楽しんだ。
僕の卒業が近くなったときに、
「いつか一緒におうどん食べに行きましょうね」と約束した。
僕が卒業して1年後、先生が亡くなった。
事故らしいが、詳しくは教えてもらえなかった。
昔の担任に連絡を取って告別式の会場に、友達と3人で連れて行ってもらった。1999年の3月14日。とても天気のいい日だった。会場には先生方の他に生徒や僕のような卒業生もたくさん集まっていて、式が始まる前から皆涙ぐんでいた。僕は、まだ先生が亡くなったなんて実感がなくて呆然としてその光景を見ていた。別の高校に行った友達が僕を見つけて微笑んで手を振ってくれたが、それに応える余裕もなかった。
式は厳かに始まった。
遠くて見えなかった先生の遺影が、焼香の時に始めて見えた。もう、笑っていたのか笑っていなかったのか思い出せないのが悲しい。遺影を間近で見たのに、まだ信じ切れていなかったのか僕は形式的に焼香を済ませた。信じ切れていないのに、ご冥福をお祈りした。
僕に変化が現れたのは、先生へのお別れの挨拶が始まったころだった。特に、現役の教え子が先生に宛てた手紙が僕の心を揺さぶった。その子は柔道部で全国に行った子で、全国出場が決まった時に先生は我が事のように喜んだらしい。他にもいろいろと先生にお世話になっていたようで、涙ながらに「どうして逝ってしまったんですか、Iお母さん!」と叫ぶように問い掛けた。お母さんと呼べるくらい好きだったんだ、と思うと同時に、本当に、どうして逝ってしまったんですか……と思った。先生が亡くなったのを、ようやく、受け止めた気がした。
最後の遺族の挨拶で、旦那様はこう語った。
「Iは最期に『私、何か悪いことしたんかなぁ…。私、死なへんけんな』と話しました」
もうだめだった。涙を堪えられなくなった。
なんで、あんなにいい人が、こんなに早く死ななきゃ駄目なんだ。
なんで、死にたくない人が、生きようとしている人が死ななきゃ駄目なんだ。
なんで、なんで……なんで。
声を上げて泣いた。嗚咽を止められなかった。
先生との色んな思い出が頭の中を駆け巡った。
一緒に行った友達が困惑するぐらい泣いていた。
先生の棺が霊柩車に乗せられて運ばれて行っても、乗せて来てもらった車に戻ってもまだ涙は止まらなかった。他の先生に「I先生は、楽しく騒がしいのが好きやったから泣いたらいかんで」と慰められる始末だった。
あれから4年。I先生のことは今でもよく思い出す。あの人がいなかったら、今の自分もいなかっただろうなぁ、と思う。本の楽しさを教えてくれたI先生のことは決して忘れない。
一度でいいから、一緒にうどん食べに行きたかった。
「みんなが覚えやすいように」と、独自に「I式」という助動詞や変格活用の歌を作り、それを教卓の前で踊る人だった。左手を腰に当て、右手を振って歌って踊っていた。「東京のダンサーみたいやろ」と言って笑う、かわいい人だった。今でもはっきり思い出せる。サ行変格活用の踊りや助動詞の歌。
図書館では、僕に本の楽しさを教えてくれた。僕がエッセイを好きになったのは先生がさくらももこのエッセイを薦めてくれたのがはじめだった。何となく水滸伝を読みたくなったときも探してくれて、どんな話か簡単に教えてくれた。うどんが大好きなことも知り、何度も情報交換やうどんトークを楽しんだ。
僕の卒業が近くなったときに、
「いつか一緒におうどん食べに行きましょうね」と約束した。
僕が卒業して1年後、先生が亡くなった。
事故らしいが、詳しくは教えてもらえなかった。
昔の担任に連絡を取って告別式の会場に、友達と3人で連れて行ってもらった。1999年の3月14日。とても天気のいい日だった。会場には先生方の他に生徒や僕のような卒業生もたくさん集まっていて、式が始まる前から皆涙ぐんでいた。僕は、まだ先生が亡くなったなんて実感がなくて呆然としてその光景を見ていた。別の高校に行った友達が僕を見つけて微笑んで手を振ってくれたが、それに応える余裕もなかった。
式は厳かに始まった。
遠くて見えなかった先生の遺影が、焼香の時に始めて見えた。もう、笑っていたのか笑っていなかったのか思い出せないのが悲しい。遺影を間近で見たのに、まだ信じ切れていなかったのか僕は形式的に焼香を済ませた。信じ切れていないのに、ご冥福をお祈りした。
僕に変化が現れたのは、先生へのお別れの挨拶が始まったころだった。特に、現役の教え子が先生に宛てた手紙が僕の心を揺さぶった。その子は柔道部で全国に行った子で、全国出場が決まった時に先生は我が事のように喜んだらしい。他にもいろいろと先生にお世話になっていたようで、涙ながらに「どうして逝ってしまったんですか、Iお母さん!」と叫ぶように問い掛けた。お母さんと呼べるくらい好きだったんだ、と思うと同時に、本当に、どうして逝ってしまったんですか……と思った。先生が亡くなったのを、ようやく、受け止めた気がした。
最後の遺族の挨拶で、旦那様はこう語った。
「Iは最期に『私、何か悪いことしたんかなぁ…。私、死なへんけんな』と話しました」
もうだめだった。涙を堪えられなくなった。
なんで、あんなにいい人が、こんなに早く死ななきゃ駄目なんだ。
なんで、死にたくない人が、生きようとしている人が死ななきゃ駄目なんだ。
なんで、なんで……なんで。
声を上げて泣いた。嗚咽を止められなかった。
先生との色んな思い出が頭の中を駆け巡った。
一緒に行った友達が困惑するぐらい泣いていた。
先生の棺が霊柩車に乗せられて運ばれて行っても、乗せて来てもらった車に戻ってもまだ涙は止まらなかった。他の先生に「I先生は、楽しく騒がしいのが好きやったから泣いたらいかんで」と慰められる始末だった。
あれから4年。I先生のことは今でもよく思い出す。あの人がいなかったら、今の自分もいなかっただろうなぁ、と思う。本の楽しさを教えてくれたI先生のことは決して忘れない。
一度でいいから、一緒にうどん食べに行きたかった。
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電気の供給を止めようとする企み。
2003年6月22日2月に、司書さんと同僚さんにお寿司をご馳走になった時。カニやらトロやら普段なら絶対に口に出来ない高級食材をいただいた僕は思わず「今晩停電してもいいです」と口走ったのだが、司書さんはそのセリフがとても気に入ったらしく、それ以来お食事に誘っていただく時には何とか僕の家を停電させようと頑張っており、家に帰ってからはメールで「停電した?」と聞いてくるくらいである。思わず口走った言葉を4ヶ月も引っ張ってくださっている。驚かずにいられない。
今日は野菜がたくさん食べたかったので、サラダバーがあるステーキレストランフォルクスに連れて行っていただいた。入ってみると、サラダバーだけかと思っていたらスープバーもあるではないか。しかも3種類。スープ好きの僕としてはたまらない。
申し訳なかったが、安めのステーキにサラダバー、スープバー付のセット(700円)を注文させてもらい、その元を取らねば、とサラダバーに突撃した。大好物のルッコラとオニオンスライス、ポテトサラダは絶対外せない。それにトマトやコーン、キュウリを散らす。スープバーはまずはコーンスープ。セルフサービスのクルトンが嬉しい。
サラダは本当に「野菜を食べてる」という感じがする。野菜が不足しがちの一人暮らし。ゴマドレッシングで3回おかわりした。
スープもコーンスープ、スペイン風卵スープ、野菜コンソメと豪華。野菜コンソメの優しい味や卵スープの味も良かったのだが、やはりコーンスープの濃厚な味が一番懐かしい気がして美味しかった。スープは4杯おかわり。腹が非常に苦しくなったが、これだけ食べれば元も取れただろう。
家まで送っていただき今日も心から御礼を述べ、家出ゆっくりしていたら司書さんから
「停電中?」
というメールが届いた。残念ながら今日も我が家は平和です。
今日は野菜がたくさん食べたかったので、サラダバーがあるステーキレストランフォルクスに連れて行っていただいた。入ってみると、サラダバーだけかと思っていたらスープバーもあるではないか。しかも3種類。スープ好きの僕としてはたまらない。
申し訳なかったが、安めのステーキにサラダバー、スープバー付のセット(700円)を注文させてもらい、その元を取らねば、とサラダバーに突撃した。大好物のルッコラとオニオンスライス、ポテトサラダは絶対外せない。それにトマトやコーン、キュウリを散らす。スープバーはまずはコーンスープ。セルフサービスのクルトンが嬉しい。
サラダは本当に「野菜を食べてる」という感じがする。野菜が不足しがちの一人暮らし。ゴマドレッシングで3回おかわりした。
スープもコーンスープ、スペイン風卵スープ、野菜コンソメと豪華。野菜コンソメの優しい味や卵スープの味も良かったのだが、やはりコーンスープの濃厚な味が一番懐かしい気がして美味しかった。スープは4杯おかわり。腹が非常に苦しくなったが、これだけ食べれば元も取れただろう。
家まで送っていただき今日も心から御礼を述べ、家出ゆっくりしていたら司書さんから
「停電中?」
というメールが届いた。残念ながら今日も我が家は平和です。
そうですね。
2003年6月21日土曜の講義は家から1時間くらいのところにあるキャンパスでやっている。今日はJRが事故で止まってしまったので急遽京王線の駅まで行って乗り継いで目指したのだが、13時集合に10分ほど遅れてしまった。
遅れて部屋に入り、今日の講師に「事故で電車が止まって……」と説明したのだが、それだけで講師に「不思議な人だね」て言われてしまった。土曜の講義での僕の立場については、もう不思議キャラとして落ち着いてしまった感があるのだが、それをたった一言で見破るとは。
そもそも、僕は中学の頃から既にいじられてその反応を楽しまれるタイプだった。中学では面長なために「ヘチマ」なんて渾名を付けられていたし(さすがにこれは抵抗した。そのために余計にいじられた)、高校2年からは非常にキャラが濃くて人いじ
りにも長けた女子4人組(勝手に四天王と呼んでいた)のために喋ってはいじりたおされ、高校の卒業アルバムではその彼女たちに「今までからかってごめんなさい」と書かれる始末だった。ただ、彼女たちは中学とは違って人を不快にさせるワードは使わなかったので楽しくもあったのだが。
大学では僕のことを知っている人が誰一人いなかったので、「真面目な出来る奴を演出するチャンス」などと思いながら入学したのだが、面白いが横柄な悪友どもにいじられている(現在進行形)
2年になって、ゼミに入ることになったときも、知り合いが一人もいなかったので「真面目な(以下略)」と思っていたが、それは面接を受けた時に不可能になっていた。うどんトークもぶちかましたし、後で先輩に「声で採った」て言われているから。
で、今回選抜式の特殊講義に入れることになった時。「今度こそ(以下略)」と思っていたがもうあきらめた。そういう性分なのだろう。
「そのキャラを大事にしたほうがいいよ」と言ってもらえた。全くその通り。
遅れて部屋に入り、今日の講師に「事故で電車が止まって……」と説明したのだが、それだけで講師に「不思議な人だね」て言われてしまった。土曜の講義での僕の立場については、もう不思議キャラとして落ち着いてしまった感があるのだが、それをたった一言で見破るとは。
そもそも、僕は中学の頃から既にいじられてその反応を楽しまれるタイプだった。中学では面長なために「ヘチマ」なんて渾名を付けられていたし(さすがにこれは抵抗した。そのために余計にいじられた)、高校2年からは非常にキャラが濃くて人いじ
りにも長けた女子4人組(勝手に四天王と呼んでいた)のために喋ってはいじりたおされ、高校の卒業アルバムではその彼女たちに「今までからかってごめんなさい」と書かれる始末だった。ただ、彼女たちは中学とは違って人を不快にさせるワードは使わなかったので楽しくもあったのだが。
大学では僕のことを知っている人が誰一人いなかったので、「真面目な出来る奴を演出するチャンス」などと思いながら入学したのだが、面白いが横柄な悪友どもにいじられている(現在進行形)
2年になって、ゼミに入ることになったときも、知り合いが一人もいなかったので「真面目な(以下略)」と思っていたが、それは面接を受けた時に不可能になっていた。うどんトークもぶちかましたし、後で先輩に「声で採った」て言われているから。
で、今回選抜式の特殊講義に入れることになった時。「今度こそ(以下略)」と思っていたがもうあきらめた。そういう性分なのだろう。
「そのキャラを大事にしたほうがいいよ」と言ってもらえた。全くその通り。
他にやることないんかい。
2003年6月20日先日、サークルに行く前に軽食堂で何かつまもうと思って寄ってみると、仲のいい友達(♀)がいたので一緒にポテトなんぞつまみながら喋っていたのだが。
偶然そこを通りかかったサークルの後輩が部屋に帰って
「○○さんが女の子とご飯食べてる!!」
と言う情報を流したらしく、そこにいた数人で戻ってきて遠巻きに僕を観察していたらしい。
……この出歯亀どもがーーー!!
それを知ってから詳しく問い詰めてみると、2人ほどは僕の真後ろを何往復かして、携帯で写真まで撮っていたと言うではないか。つーか、もっとほかの事に情熱燃やせと。うちのサークルのメンバーはみんな恋話が好きすぎる(呑みとか行くとかなりの確率でこの話がメインになる)ので、たまに苦笑してしまう。
本当に恋愛感情なく、仲のいい女友達なんだがなぁ。
偶然そこを通りかかったサークルの後輩が部屋に帰って
「○○さんが女の子とご飯食べてる!!」
と言う情報を流したらしく、そこにいた数人で戻ってきて遠巻きに僕を観察していたらしい。
……この出歯亀どもがーーー!!
それを知ってから詳しく問い詰めてみると、2人ほどは僕の真後ろを何往復かして、携帯で写真まで撮っていたと言うではないか。つーか、もっとほかの事に情熱燃やせと。うちのサークルのメンバーはみんな恋話が好きすぎる(呑みとか行くとかなりの確率でこの話がメインになる)ので、たまに苦笑してしまう。
本当に恋愛感情なく、仲のいい女友達なんだがなぁ。
重松清著 『さつき断景』
2003年6月19日昨日は、どんな一日だっただろうか。2限から講義を受けて、サークルに参加して、ファミレスで御飯夕飯を食べて……。自分でも平凡な一日だったと思うが、人生はこういう「平凡な一日」の積み重ねだと思うし、過去のどの「平凡な一日」が欠けても、「今」は成立しないだろう、とも思う。
1995年5月1日、15歳のタカユキは阪神大震災で壊滅した神戸でのボランティアから帰京し、今までの惰性としか思えない生活に終止符を打とうと思った。偶然1本早い電車に乗ったため地下鉄サリン事件を免れた35歳のヤマグチさんは、本当に自分は助かったのか、生きているのかという自己喪失感に包まれていた。57歳のアサダ氏は、娘が嫁ぐ日の最後の一家団欒を実感していた。それから彼らは、2000年までの5年間、どう生きただろうか。
この本は、2000年までの彼らの人生を、「5月1日」だけを切り取って描写したもの。その年に実際に起こった事件の記述を挟みながら語られる彼らの生活は、劇的なことも起こらず淡々と進んでいく。だからこの本は「ドラマを見ている」と言うよりは「彼らの書いた詳述な日記を読んでいる」ような感じだ。それ故に、この本の評価は真っ二つに分かれると思う。盛り上がりがないつまらない本か、とても身近に感じる馴染みやすい本か。
私は後者だったので、この本を一気に読めた。自分自身に不甲斐なさを感じて焦るタカユキ、成長していく娘に困惑するヤマグチさん、巣立ってゆく家族を見て寂しさを隠せないアサダ氏、全てが体験したことで、これから体験するかもしれないこと。彼らの考えることがありありと伝わってくるようで、時に苦しく、時に微笑ましかった。
私は3年ズレるけれども、5年前の1998年5月1日、タカユキと同じ15歳だった。彼が劇的でもない人生を送って5年後、20歳になって「オトナになった」ように、私も劇的でもない人生を歩み、5年後、彼と同じようにオトナになった。
オトナになった……なったのかな?
------------------------------------------
重松清 『さつき断景』 祥伝社、2000
1995年5月1日、15歳のタカユキは阪神大震災で壊滅した神戸でのボランティアから帰京し、今までの惰性としか思えない生活に終止符を打とうと思った。偶然1本早い電車に乗ったため地下鉄サリン事件を免れた35歳のヤマグチさんは、本当に自分は助かったのか、生きているのかという自己喪失感に包まれていた。57歳のアサダ氏は、娘が嫁ぐ日の最後の一家団欒を実感していた。それから彼らは、2000年までの5年間、どう生きただろうか。
この本は、2000年までの彼らの人生を、「5月1日」だけを切り取って描写したもの。その年に実際に起こった事件の記述を挟みながら語られる彼らの生活は、劇的なことも起こらず淡々と進んでいく。だからこの本は「ドラマを見ている」と言うよりは「彼らの書いた詳述な日記を読んでいる」ような感じだ。それ故に、この本の評価は真っ二つに分かれると思う。盛り上がりがないつまらない本か、とても身近に感じる馴染みやすい本か。
私は後者だったので、この本を一気に読めた。自分自身に不甲斐なさを感じて焦るタカユキ、成長していく娘に困惑するヤマグチさん、巣立ってゆく家族を見て寂しさを隠せないアサダ氏、全てが体験したことで、これから体験するかもしれないこと。彼らの考えることがありありと伝わってくるようで、時に苦しく、時に微笑ましかった。
私は3年ズレるけれども、5年前の1998年5月1日、タカユキと同じ15歳だった。彼が劇的でもない人生を送って5年後、20歳になって「オトナになった」ように、私も劇的でもない人生を歩み、5年後、彼と同じようにオトナになった。
オトナになった……なったのかな?
------------------------------------------
重松清 『さつき断景』 祥伝社、2000
気分悪いわ。
2003年6月15日楽団の練習が終わって、後片付けしてる時に、向こうから楽団運営局の人がやってきて
「そこの兄ちゃん、この紙の枚数数えてくれる?」
私がこの楽団に入って1年8ヶ月になるのですが、まだ名前も覚えてもらえないんですか?一緒に活動する手前、顔と名前を覚えるのは最低限の礼儀だと思うのですが。
申し訳なさそうな素振りも見せず、普通に言われた分余計に腹が立ちます。
「そこの兄ちゃん、この紙の枚数数えてくれる?」
私がこの楽団に入って1年8ヶ月になるのですが、まだ名前も覚えてもらえないんですか?一緒に活動する手前、顔と名前を覚えるのは最低限の礼儀だと思うのですが。
申し訳なさそうな素振りも見せず、普通に言われた分余計に腹が立ちます。
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重松清著 『トワイライト』
2003年6月14日中学校2年の時、「1年後の自分に手紙を書こう」ということをやった。卒業の時に受け取った手紙には、高校に進む自分に対して無邪気な応援の言葉が書かれていた。まっすぐな字で、のびのびと。
長山西小6年3組を1975年に卒業した生徒は担任の薦めでタイムカプセルを埋めた。40歳になったら掘り起こすことになっていたのだが、学校の廃校に伴って、まだ39歳なのだが掘り起こすことになった。そうして夕刊の片隅に載ったタイムカプセル掘り起こしのお知らせを見て集まった2001年7月20日、午後3時7分23秒。全ての物語は始まった。
リストラ、離婚の危機、難病、落ちて行く自分……。登場人物は「こんなはずじゃなかった」と思う。当たり前だ。幼い頃には、自分が不幸な目に遭うなんて全く信じないで生きていた。私だって12歳の時には東京の大学で将来の夢のために頑張って勉強するようになるなんて思っていなかったし、14歳の自分だって、15歳の自分が進路について親・教師と対立するようになるなんて思っても見なかった。1年後のことさえ、わからなかった。
もし私が今タイムカプセルを埋めるなら、何を中に入れるだろうか。今の私が未来の私に伝えたいことは一体何なのだろう。39歳の私はそれを見て、どんなことを思うのだろう。
そして、この本が最後まで一貫して問いかけてくる命題、「あなたは今、幸せですかーー」これに、満面の笑みで「はい、幸せです」と言えるように、私は今、頑張っているのだ。
--------------------------------------
重松清『トワイライト』文藝春秋、2002
長山西小6年3組を1975年に卒業した生徒は担任の薦めでタイムカプセルを埋めた。40歳になったら掘り起こすことになっていたのだが、学校の廃校に伴って、まだ39歳なのだが掘り起こすことになった。そうして夕刊の片隅に載ったタイムカプセル掘り起こしのお知らせを見て集まった2001年7月20日、午後3時7分23秒。全ての物語は始まった。
リストラ、離婚の危機、難病、落ちて行く自分……。登場人物は「こんなはずじゃなかった」と思う。当たり前だ。幼い頃には、自分が不幸な目に遭うなんて全く信じないで生きていた。私だって12歳の時には東京の大学で将来の夢のために頑張って勉強するようになるなんて思っていなかったし、14歳の自分だって、15歳の自分が進路について親・教師と対立するようになるなんて思っても見なかった。1年後のことさえ、わからなかった。
もし私が今タイムカプセルを埋めるなら、何を中に入れるだろうか。今の私が未来の私に伝えたいことは一体何なのだろう。39歳の私はそれを見て、どんなことを思うのだろう。
そして、この本が最後まで一貫して問いかけてくる命題、「あなたは今、幸せですかーー」これに、満面の笑みで「はい、幸せです」と言えるように、私は今、頑張っているのだ。
--------------------------------------
重松清『トワイライト』文藝春秋、2002
何しに行ったのだろう。
2003年6月9日朝7時半起きで向かったのは河口湖。
本当は昨日から楽団の合宿が行われていたのだが、僕は土曜も講義が入っているため2日目途中合流にしてもらったのだ。さすがに演奏会本番以外では講義より楽団優先にできない。ちょうど2日目合流で車で行く方がいらっしゃったので相乗りさせていただき、中央高速で河口湖に向かった。
快調にとばしていきたいところなのだが、どうも前が詰まっているらしくスピードが80キロ前後から伸びない。追い越し車線に入って車を抜かしてみると前にミニクーパーが10台くらい連なって走っていた。しかも全部違う種類で、おじさんから若者、女性ドライバーも混じっている。スピードでない車みたいだからなぁ…。こういう一つの車を愛好する会みたいなものがあるらしく、そのツーリングではないか、という我々の推測。面白かったが、一歩間違えれば「さっき抜いたはずの車がまた現れて、気がつくと10台くらいに……」と言った類の怪談だと思う。
その後はバスがガードレールにぶつかったために車線規制が行われたことにより起こったに巻き込まれつつ何とか河口湖到着。合宿所に着いたのは11時半。もう午前の練習が終わる寸前だった。
午後は1部でやる曲3曲を重点的に練習し(1曲降り番があるので楽)合宿終了。僕は往復6時間かけて4時間楽器を吹きに来たことになる。何やってんだか、とも思うが仕方ない。
帰りは元司書さんのお友達が河口湖の方にドライブに来ているらしく、一緒に拾ってもらえることになっていたので行きに乗せて来てくださった方の誘いをお断りした。しかし問題が一つ。元司書さんの電話はPHSなので圏外で、連絡が全く取れていなかったのだ。僕が携帯を貸してかけてみてもらっても電源が入っていないのか向こうも県外なのか無反応。しかし何も言わないで帰るわけにもいかない。元司書さんと僕は河口湖駅まで送ってもらって電話をかけ続けることにした。元司書さんは「何もこんな危険な橋渡ることないのに…」と笑ってらした。
お菓子食べながら談笑しつつかけ続けること30分ほど、ようやく連絡が取れて無事合流。
夕食はせっかく山梨にいるのだから、とほうとうを食べに。昨年秋にも行ったほうとう不動の別店舗に。やけに広くお土産まであるので観光客を目当てにしているのはわかりきっているのだが、隠れた名店を探しているヒマなどない。
味は前に行った店と比べると薄いかな……というところ。いや、美味しかったのですが僕は前のが好き。南瓜の煮溶け具合が足りないかな。モツ煮は逆に濃すぎ。極端だな。しかし一瞬ぐらいは停電しそうかも。
高速はかなり込んでいて動けない、という情報を得たので我々は下道を通って帰ることに。僕は疲れのためか眠気に襲われだしていたので、送ってもらっている分際で俯いたり横になるというかなり失礼なことをしていたのだが、、山梨から東京に向かう道志の道はかなり曲がりくねっているため俯いたら扉にゴンゴン頭を打ちつけ、横になっているとまるでジェットコースターに乗っているかのように揺れまくる。僕は乗り物にかなり強いので平気だが辛い人にはかなり辛いだろう。
途中、道志の道の駅で休憩。すぐ裏には川が流れており、岩場を駆けて水に触るととても気持ちよかった。吊橋大好きの元司書さんは鉄製である程度固定されている吊橋に少し不服そうだったが乗ってみるとけっこう揺れる。楽しいぞ。
ここのトイレは普通のビールケースに「かさたて」と書いていたり、「トイレは綺麗に使いましょう 旅人より」という張り紙がしてあったりしてシュールだ。
出発するとまた眠気に襲われる僕。失礼ながら横にならせていただき、家の前まで送っていただいた。本当にありがとうございました。
疲れて月曜は学校でも寝まくっていたのは内緒の話。
本当は昨日から楽団の合宿が行われていたのだが、僕は土曜も講義が入っているため2日目途中合流にしてもらったのだ。さすがに演奏会本番以外では講義より楽団優先にできない。ちょうど2日目合流で車で行く方がいらっしゃったので相乗りさせていただき、中央高速で河口湖に向かった。
快調にとばしていきたいところなのだが、どうも前が詰まっているらしくスピードが80キロ前後から伸びない。追い越し車線に入って車を抜かしてみると前にミニクーパーが10台くらい連なって走っていた。しかも全部違う種類で、おじさんから若者、女性ドライバーも混じっている。スピードでない車みたいだからなぁ…。こういう一つの車を愛好する会みたいなものがあるらしく、そのツーリングではないか、という我々の推測。面白かったが、一歩間違えれば「さっき抜いたはずの車がまた現れて、気がつくと10台くらいに……」と言った類の怪談だと思う。
その後はバスがガードレールにぶつかったために車線規制が行われたことにより起こったに巻き込まれつつ何とか河口湖到着。合宿所に着いたのは11時半。もう午前の練習が終わる寸前だった。
午後は1部でやる曲3曲を重点的に練習し(1曲降り番があるので楽)合宿終了。僕は往復6時間かけて4時間楽器を吹きに来たことになる。何やってんだか、とも思うが仕方ない。
帰りは元司書さんのお友達が河口湖の方にドライブに来ているらしく、一緒に拾ってもらえることになっていたので行きに乗せて来てくださった方の誘いをお断りした。しかし問題が一つ。元司書さんの電話はPHSなので圏外で、連絡が全く取れていなかったのだ。僕が携帯を貸してかけてみてもらっても電源が入っていないのか向こうも県外なのか無反応。しかし何も言わないで帰るわけにもいかない。元司書さんと僕は河口湖駅まで送ってもらって電話をかけ続けることにした。元司書さんは「何もこんな危険な橋渡ることないのに…」と笑ってらした。
お菓子食べながら談笑しつつかけ続けること30分ほど、ようやく連絡が取れて無事合流。
夕食はせっかく山梨にいるのだから、とほうとうを食べに。昨年秋にも行ったほうとう不動の別店舗に。やけに広くお土産まであるので観光客を目当てにしているのはわかりきっているのだが、隠れた名店を探しているヒマなどない。
味は前に行った店と比べると薄いかな……というところ。いや、美味しかったのですが僕は前のが好き。南瓜の煮溶け具合が足りないかな。モツ煮は逆に濃すぎ。極端だな。しかし一瞬ぐらいは停電しそうかも。
高速はかなり込んでいて動けない、という情報を得たので我々は下道を通って帰ることに。僕は疲れのためか眠気に襲われだしていたので、送ってもらっている分際で俯いたり横になるというかなり失礼なことをしていたのだが、、山梨から東京に向かう道志の道はかなり曲がりくねっているため俯いたら扉にゴンゴン頭を打ちつけ、横になっているとまるでジェットコースターに乗っているかのように揺れまくる。僕は乗り物にかなり強いので平気だが辛い人にはかなり辛いだろう。
途中、道志の道の駅で休憩。すぐ裏には川が流れており、岩場を駆けて水に触るととても気持ちよかった。吊橋大好きの元司書さんは鉄製である程度固定されている吊橋に少し不服そうだったが乗ってみるとけっこう揺れる。楽しいぞ。
ここのトイレは普通のビールケースに「かさたて」と書いていたり、「トイレは綺麗に使いましょう 旅人より」という張り紙がしてあったりしてシュールだ。
出発するとまた眠気に襲われる僕。失礼ながら横にならせていただき、家の前まで送っていただいた。本当にありがとうございました。
疲れて月曜は学校でも寝まくっていたのは内緒の話。
譲れないこと。
2003年6月5日阪神が一挙に11点取って勝ったあの日、兄は実家に電話をかけて電話口で喜びを大いに表現したらしい。
うちの家族は全員阪神ファンだ。僕と母は選手名などにはあまり詳しくないのだが阪神が勝つと嬉しくなる感情を持ち合わせている。そしてうちの家族は全員がアンチ巨人である。やはり金にモノを言わせているイメージがしみついているのだ。
しかし兄の巨人嫌いは少し度が過ぎたものがある。僕がどこの新聞を取ろうか迷っていた時、朝日、産経は論調が合わないので一番に切ったのだが毎日と読売でどっちを取ろうか悩んでいた。実家では毎日を取っていたので、ちょっと違うの読んでみようかな、と思って、実家から電話がかかってきた時に
「新聞取ろう思っとんやけど、ずっと毎日やったけん読売でも取ってみようかなー思とんや」
と言ってみると、話し相手がいきなり偶然帰省していた兄に代わり
「巨人の新聞や取ったら縁切るぞ。わかっとんか」
と言われた。
僕が現在毎日新聞を読んでいるのは言うまでもない。どこの新聞を購読するかくらいで兄弟の縁を切られたらたまらない。
しかし兄は普段、平気で日テレ系列のテレビ番組を見ている。
うちの家族は全員阪神ファンだ。僕と母は選手名などにはあまり詳しくないのだが阪神が勝つと嬉しくなる感情を持ち合わせている。そしてうちの家族は全員がアンチ巨人である。やはり金にモノを言わせているイメージがしみついているのだ。
しかし兄の巨人嫌いは少し度が過ぎたものがある。僕がどこの新聞を取ろうか迷っていた時、朝日、産経は論調が合わないので一番に切ったのだが毎日と読売でどっちを取ろうか悩んでいた。実家では毎日を取っていたので、ちょっと違うの読んでみようかな、と思って、実家から電話がかかってきた時に
「新聞取ろう思っとんやけど、ずっと毎日やったけん読売でも取ってみようかなー思とんや」
と言ってみると、話し相手がいきなり偶然帰省していた兄に代わり
「巨人の新聞や取ったら縁切るぞ。わかっとんか」
と言われた。
僕が現在毎日新聞を読んでいるのは言うまでもない。どこの新聞を購読するかくらいで兄弟の縁を切られたらたまらない。
しかし兄は普段、平気で日テレ系列のテレビ番組を見ている。