頑な。

2003年3月24日
昨日スーパーで唐突に出会った豚軟骨。
食べたことはなかったがグラム28円という安価に惹かれて購入。家に帰って調理法を調べてみると、砂糖醤油酒で煮込むとか素揚げにしても美味しいらしい。昨晩のメニューが麻婆豆腐でその余りを今日の昼にも食べたので脂っこいものは避けたい。というわけで今回はじゃがいも人参玉葱と共に、肉じゃが風に煮付けてみた。豚軟骨の肉じゃがなんて邪道だろうが、しかも僕は肉じゃがは牛肉派なのだが今回はこういうことには全て目をつむった。

野菜を適当な大きさに切って鍋にぶち込み、軟骨の処理に入る。固まりで買ってきたので細かく切らなければいけないのだが筋が固くて包丁片手に悪戦苦闘。なかなか切れてくれない身にストレスをためながら時には肉を引きちぎり、血が固まっているところを取り除いたりで時は過ぎ、やっと鍋に放り込んだ時には少し疲れが見えていた。

ここまで来たらこっちのもの。灰汁を取り除いて火を落として酒をどぼどぼ注いで醤油で味付け。鍋を放置。じっくり煮込みたかったのだが調理を始めたのが7時回っていて空腹が押してきていたので1時間ほどの煮込みで食べてしまった。野菜は柔らかくなっていて非常に良かったのだがやはり肉がまだまだ固かった……。味のほうは生姜も入れていないのに臭みも少なく満足。

悔しいので鍋に半分残っているものをとろ火で煮込み倒してあげた。先程少し肉をつまんでみると骨の部分も柔らかくなっていたので明日食べるのが楽しみ。

しかし、冷凍庫にぶち込んである残り半分の軟骨どうしよう。今度は素揚げやってみるかな。
1ヶ月ぶりに参加した楽団は、年度末のためか非常に集まりが悪く、いつもの半分くらいの人しか姿を見せていなかった。指揮者さんもお休みで、指揮はいつもはバストロンボーンを吹いている方が代理で。ピアノをやっていたのか音感が非常によく、音程の良し悪しも簡単に聞き分けてくれるので油断ならない。

今日のパートリーダー会で次の演奏会の曲が本決まりするそうなのだが、「古シ」(漢字が出てこない…しめすへんに巳)という曲をやることになりそうで非常に困っている。8分の10拍子なんて吹けない。和風の曲は好きなので僕にとっては典型的な「聞くのはいいが吹きたくない曲」だ。他にやる予定の「ジャイアント・ロボ組曲」は楽しいし大賛成なのだが。音が高すぎるしシャープつけまくりなのでいつも文句言っているがリズムは比較的取りやすいのでここは黙っておく。

僕ももう大学3年だし、就職活動のための準備も始めなければいけない時期にさしかかりだすので、演奏会に出られるのはもしかするとこの次は大分後になるかもしれない。だったら、今のうちに思う存分やっとかないとな、と思うところ。

Blindness

2003年3月20日
空が爆発するのを見た。
 
 
 
アメリカに呪いの言葉を吐くイラク人を見た。
 
 
 
 
反戦デモやシュプレヒコールを飛ばすつもりはないけれど、
ひとりで、悲しませてください。

情けない話だが。

2003年3月13日
何だか入りにくくて、美容院には行けない。

男性客が多くて入りやすい美容院、近所にないもんかな。いつも理容店なんで、そういう所で切ってみたいのだが、外から見ても女性客ばかりで一見さんは入り辛く、そう髪型などに詳しくない上に緊張しいなので上手く伝えられるかどうかも自信があまり持てない。

家の近所には異様に美容院が多いので、一度その辺りをぐるっと巡ってみようか。あぁ、全ての美容院が1階にあって、「先月の男性客/女性客」とか電光掲示板で表示してくれればいいのに。男性客OKかお断りかわかんないよ。
後悔しない人間なんて、いない。あの時ああやっていれば、こうしていれば、という後悔と苦悩を抱えて、そしてそれを乗り越えて人は成長していくものだと私は信じている。特に重いものは、一生抱え込んで生きていくのが最大の償いかもしれない、と思うときもある。

38歳の和夫はリストラによる職探し、離婚を迫る妻、中学受験に失敗した後不登校、DVをも引き起こした息子との問題を抱えていた。「もう死んでもいい……」と思いながら駅前ベンチに座っていると、目の前にワインレッドのオデッセイが現れ、車に乗せられる。その車を運転している橋本さんと助手席の健太君、5年前の事故で亡くなっている筈の2人は和夫を今までの人生での「たいせつな場所」に連れて行くと言う。戻った過去で出会ったのは、大嫌いな、今故郷の病院で危篤状態のはずの父だった。ただし、38歳の。

過去の世界をさまようことで、自分が如何に家族のことをわかっていなかったか思い知らされることになる和夫。彼の未来を変えようとする努力は虚しくも空回りし続けるのだが、そのことに苦しみつつも初めは憎んでいた家族の裏切りとも言える行為(この言葉を使うには和夫のエゴを認める必要があるが)を容認し、それを承知の上で何とか未来を変えることができないかと方法を模索する和夫の姿はとても死のうと考えていた「和夫」と同一人物とは思えない。容貌の描写はないが、はじめと比べて男前に見える。

和夫は38歳の父親とも衝突することに。現実の父は63歳だが、この父は38歳で記憶が止まっていて、それは和夫と父が仲違いをする前だった。その後の展開と当時の和夫がどのように父を見ていたか、それを聞かされる。今まで秘めていた和夫の胸の内がストレートに父にぶちまけられ、父は健太君や和夫の息子の広樹と話すときに和夫に対する思いを語り、橋本さんの車に乗ってきた父は和夫の見たことのないような姿を曝け出す。この時、親子間で凍っていた関係が動き出した。結局、この親子もお互いのことをほとんど知らない者同士だったのだ。

そしてこの話は、健太君の物語でもある。8歳で自分の人生を終えることになった健太君が成仏するには、自分の死を受け入れることが必要だった。受け入れる為の過程は、8歳の子供には辛すぎることばかりで、その度に傷ついていく健太君の姿には胸が痛む。そして、ずっと健太君を「殺してしまった」と後悔している橋本さん、彼も、後悔の犠牲者だった。「橋本健太という少年がいたことを、決して忘れない」ために永遠に成仏せずにさまよおうとするその姿は、とても切ないものだった。

一篇の物語に、後悔する3人の親と、3組の親子の絆が見える。3組の親子のストーリーを上手に絡ませるこの技巧は見事としか言いようがない。

健太君の言う「サイテーサイアクの現実」に戻った和夫は、もう一度家族の絆を取り戻す為に立ちあがることができた。もしあなたがどうしようもなく死にたいと思っているならば、終電後の駅前に佇んでみたらどうだろう。もしかしたら、温和な父親とちょっと生意気な少年が車に乗せてくれるかもしれない。ただし、乗る勇気があるなら。

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重松清著 『流星ワゴン』 講談社、2002
本当はそう高級でもないのだけれど、小さな頃の「ごちそう」と言えば「カレー」だった。ニンジンが嫌いでもカレーに入っていたらぺろりと食べられてしまう、そんな不思議なことも引き起こしてしまう「まほうのごちそう」だった。

調理師学校を卒業したばかりのケンスケは、ファミレスに就職が決まっていた。が、ある日父が急死、ケンスケには洋食屋を営んでいて、カレーをいつも食べさせてくれた祖父の店の権利書が残った。それは父が、祖父の葬儀の晩に息子といとこたちが「将来カレー屋をやろう」と話していたのを立ち聞きし、人の手に渡っていた土地と店を買い戻したものだった。こうしてケンスケは、強い理由があったわけではないもののカレー屋の開店を目指していくようになる。

普段は落ち着いているが挑発に乗りやすいケンスケと普段物事を深く考えないが時に鋭い意見をだすいとこのワタル、お互いがお互いを振り回しつつ進んでいく旅はほとんどが行き当たりばったりで、読んでいるこっちがハラハラしてしまう。だが彼らはその先の見えない旅に困惑しつつも、興味本位で次々と行動する。時にはひどい目にもあっているが、とにかく楽しそうなのだ。ワタル以外のいとこたちはそう簡単にカレー屋経営に協力してくれるわけではないけれど、それだけに能天気さと真剣さを併せ持つ2人とのかけあいが面白い。

2段構成460ページと言う長編が為せることなのか、筆者は登場人物と彼らの旅の軌跡を、時には長い回想シーンや些細な話で補完しながら、見事に著している。もともと僕は話を読みながらその様子をぼんやりと頭の中に映像として浮かべるほうなのだが、この話は特にくっきりと映像に映し出すことができ、その分だけとても身近なように感じられ、どんどん引き込まれていった。

本書を帰省中の電車の中で読了、岡山で親に電話した時に「夕飯何がいい?」と聞かれたが、「カレー」と即答してしまった。実家のカレーが好きだ。何故だか、僕が一人で作って独りで食べるものより美味しく感じる。洋食屋の特製カレーじゃないけれど。
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竹内真著 「カレーライフ」 2001

9時半に起こして、と親に頼んでいたが眠くて起き上がれず、30分後に起床。こんなに早起きした理由は
「うどんを食べに行く」
またかい。

10時半に出発。向かうは琴南町の「谷川米穀店」

http://www.ne.jp/asahi/mensei/udon/myhp54.html

「米穀店」と入ってるが食堂もやっているこのお店、昼2時間のみの営業でうどん屋になる。画像を見ていただくとわかるが看板は「食堂」と書いたものと「※」のみ。傍目ではとてもうどん屋に見えない。しかしとても美味しいうどんを出すのでかなりの人気店となっている。

僕の寝坊のせいで11時45分ごろ到着。店が見え出すちょっと前で「どれくらいいるかなー」などと暢気に考えて店の前まで出ると、

100人以上並んでいた。誇張抜き。

画像で、店まで坂になっているのがわかるが、その坂の上まで人が2−3列で並んでいた。いくら今日が土曜だからとはいえ、来過ぎではないだろうか。11時45分なんていったら昼飯ジャストタイム。こんな時間に来ることになった自分の寝坊を恨んだ。

帰りたくなったがここに来るまで車で40分かかっているのだ。それにここのうどんは僕の中でTOP3に入る。頑張るしかない。

曇りがちで少し風もある今日、店の下には川も流れていてその冷気も上に昇ってきてとても寒い。母と震えながら列に並んでいて、ふと遠くを見てみるとそこにバスが止まっている。そしてバスからニ十数人が降りてきて列に加わった。うどんツアーの観光バスだ。僕もお目にかかるのは初めてだ。おかげで列は坂からはみ出てさらに続いている。

このうどん屋に駐車場はない。坂の下に停めるスペースは2台分くらいあるのだが、人がひしめいているのに停める勇気のある人はいないだろう。

ジャケットのファスナーを締め、ポケットに手を突っ込んで心の中で鼻歌でも歌って寒さを紛らわすこと、1時間。12時45分にやっと店内に入れた。そう広くない店内はまたごったがえしており、相席当たり前。立ち食いOKならもっと入るのにな。

やっとありついたうどん大、200円に卵30円。適当に空いた席に腰掛けて、ここはダシを置いていないので葱、七味、醤油をかけてかき混ぜて掻き込む。硬くはないのだが細くて腰のある麺、最高に美味い。いくらでも食べられそうだ。40分かけて来て1時間待った甲斐があったというものだ。

でも後ろに山ほど並んでいるのにお代わりなんて申し訳無くてできない。ここはお代わり優先なので「ください」と言えば先にもらえるのだがそんな図太い神経は持ち合わせていない。後ろの席に陣取っていた中年4人組が何度もお代わりして席を立とうとしなかったのに反発を覚えていたのもあるが。

2人で合計430円。相変わらずここは素晴らしく安い。大満足して店を出、12時50分になっても坂の中腹より上にまで行列が続いているのを見ながら帰宅の途に就く。途中で美味しくて評判のケーキ屋でケーキを買って帰っていると、家の近くの有名店にさっき谷川で見たバスが停まっていた。たぶん中は大混乱だ。

谷川の行列で、後ろに並んでいた老夫婦が持っていた「さぬきうどんツアーの心得」と書かれたパンフレットが頭から離れない。


BOOK MARKETにて本やCDを物色していたのだが、店内のBGMでどうやらイルカの「なごり雪」のカバーらしき曲がかかった。


ラップ版「なごり雪」


なんでもかんでもカバーすればいいってもんじゃねぇぞ、コラ。1番が終わる頃にはものすごく気分が悪くなってしまった。


別にカバーを全否定するわけではないのだが、最近のカバーってどうなのだろう。FLOWの「贈る言葉」はしんみりした名曲がただの「みんなで笑って別れるパーティーソング」みたいなものにされてしまった。全然言葉を贈られている気がしない。あのアップテンポはともかく、
「愛〜する〜あなたに〜(Yeah!Yeah!Yeah!)」
はないだろう。武田鉄也公認らしいのが悔しい。

この「なごり雪」も原曲が名曲なのに、何故サビ前やAメロとBメロの間にラップを挟む。ラストもラップで終わらせる。そういう曲じゃないだろう。

モーニング娘。のひょっこりひょうたん島も、ちょっと遡ればKICK THE CAN CREWの「クリスマス・イブ・RAP」も僕には辛い。なまじ元を知っている分だけ、そしてそれを気にいっている分だけ違和感ばかり耳につく。

バラード系の曲は変にRAPとかテンポアップ、曲調を変えるようなアレンジをしないで原曲に忠実に歌い上げてくれたほうが、絶対にいいと思うのだが。抱いていた曲のイメージを崩されるのはかなり不快だ。

な、何や君らは。

2003年3月3日
昨日の話なのだが、献血が長くなりすぎたのでここに。

献血後に昼ご飯はうどんを食べにいこうという話になり、免許センター近くのかなり美味しいうどん屋に行く事になったのだが日曜のため休み。もう一軒、飯山町の目をつけていた店に行ったのだがそこも休み。どこに行こうか?と話し、MIさんが行きたいと言っていた琴平町の宮武に。

到着したのは15時だったのに、ものすごく並んでいた。まぁ、日曜日だから隣県からのうどんツアーとか来ているんだろうな、と思いつつ、回ってきたメニューを見ていると後ろに小ぶりのバスが止まり、そこからカメラやマイク機材を持っている人がぞろぞろ降りてきた。どうやらこのバスは所謂ロケバスというものらしい。

ここは有名な店で、店内には芸能人のサインもたくさん飾られている。またローカル番組の取材かな、こんなんにめぐり合えるなんて運が良い。インタビューなんか求められたらどうしよう、なんてとりとめもないことを思い浮かべていると、並んでいた女の子がしきりに後ろを気にする。行列からは見えない位置でもう撮影を開始しているらしく、そっちを見に行く人もいたので僕も行き、近くにいる人に何の番組か聞いてみると、テレビ朝日系列のジャニーズJr.の番組「裸の少年」だと言うではないか。全国ネットだ。

誰が来ているのか名前を尋ねた。僕はジャニーズには全く詳しくないのでうろ覚えなのだが、風間俊介とシバジュンとか言う人とジミーだかサミーだか呼ばれている人が来ているらしい。顔もよく見えなかったがうどんを食べるんなら行列の横を通るだろうと思い列に戻った。

読みどおり、行列の横を通って店に入っていった。仕事中だし円滑に進めるためだと思うが、無愛想で足早に店に入っていった。サインなんて求めないから笑顔見せてくれてもいいのになぁ。背の高かった人は笑顔だったけど。後ろに並んでいた男性が「芸能人やったら並ばんでもええんか」と言っていたのがとても印象的だった。そして同感。

僕達の順番はまだまだだったので外のベンチに座りながら中の様子をうかがっていたのだがよく見えない。漸く順番が回ってきたので中に入るがテレビ軍団は一番奥の座敷を陣取っていたのでやはり良く見えない。しばらく静かだったので「あれ本当に撮影しよん?」と言い合っていたが少しすると楽しそうな騒ぎ声が聞こえてきた。その声で「違うから、そうじゃないから」とか言う声が聞こえてきた時、MIさんが「標準語であぁ、東京の人なんやな、て思った」と語った。

僕らがうどんを食べているときにテレビ軍団は店から出ていった。入っていくときよりは少し愛想よく見えたのでなんだか安心。ちょっとこの3人の初期評価が低かったので。

こんな風に、芸能人がいる空間でうどんを食べるなんて、そうそうできるものじゃないんだろうなぁ。先に入らないで並んでくれんだら好感度抜群でした。

今日は友達MUの誕生日で、ご飯食べてボウリングに行くと聞いて遊びに行ったのに何故僕は今献血をしているんだろう。
と、高松の献血センターで思った。

2月の半ばに、遊びに行く計画を聞いたのでOKし、それを頭の片隅に残しながら電車に乗っていた昨日、もう一人のメンバーだったMIさんからメールが入った。

「久しぶりー。MUに聞いたんやけど明日遊びに行けるん?そして献血もしてくれるん?^^」

MIさんが献血回数40回を超える献血好きだとは知っていたが、何の話だ。知らんぞ。上郡での電車待ち時間でMUに聞いてみると

「あいつ何考えとんやろーのー?お前に献血のこと話したら来ん言う思ったから内緒にしとったんや。」

内緒にするな。先言え。

正直な話、この年ではあるが僕は注射は大嫌いだ。小6の時には注射の日にちょうど風邪を引いていたので、学校から後日に自分で予防接種に行くように言われたがそのまま日本脳炎の予防接種から逃げた経験もある。だが、遊びに行く約束をしていて今からキャンセルするわけにいかない。行くまでの車の中で説得しようと思った。

…なのに寝坊してしまい30分の遅刻で合流。車を出してくれたMIさんも遅刻魔だし、僕がひどい遅刻するのはどちらかというと珍しいことなので咎められることはなかったが、献血阻止を切り出すには最悪の状態だ。

そして当然のように献血阻止には失敗した。MUは「何で誕生日に血抜かれなあかんねん」と尤もなことを言い、花粉症の薬も飲んでいたので献血できずにさっさと商店街のほうに去ってしまい、僕はもう抵抗もせずに問診表を書き、無料の自販機でコーヒーを出して飲んでいた。

今日は人が少なくてすぐに順番が回ってきてしまった。問診表をもとに簡単な質問を受けて、すぐに血液検査に。試験管5本分血を採ります、と言われたので5回刺し直すのかと思ってビクビクしていたがもちろんそんなことはなく、取り外しできるタイプの注射器で針を刺したまま試験管を差し替えて採血していた。

どうやら問題なかったらしく、今度は本格的に採ることに。僕がやったのは成分献血とか呼ばれるものらしく、一度血を抜いてから血小板と血液を分離し、血液はまた体に返すらしい。

イソジンで腕を茶色にされ、太い針が刺される。痛いではないかこの野郎。1分くらい腕がジンジンしていたが痛みはだんだん和らいでいき、後はずっと待つらしい。

献血は絶好の暇つぶしとか至れり尽せりとか聞いていたが、確かにその通りだ。本を持ち込んでも構わないし、座っている椅子はリクライニングで柔らかい。テレビも見れるし頼めば飲み物も取ってきてくれる。僕の献血の担当になった人も手際良く、僕の献血ライフが良いものになるように働いてくれた。だが、冒頭で書いた思いは拭えなかった。

4パック分の血小板を取ったらしく、1時間以上かかってしまったが、その間ずっと再放送の「踊る!さんま御殿」や「吉本新喜劇」を見ていたので暇ではなかった。個室じゃないので笑いをこらえるのが苦しかったが。

初めての献血の感想。悪いものじゃない。少しの痛みとその後の体調管理さえ我慢すれば、1時間とてもゆったりと過ごせる。良いことをしている気分にも浸れるし記念品もいただいた。

今度はMUも絶対引っ張っていったる。


本屋「BOOKS談」はおかしい。
いつ行っても、本を大量に買い込みたい衝動に駆られるのだ。新大阪の駅で兄と別れ、帰りの電車の中で読む本を1冊くらい、と思い入ったのだが気づくと3冊購入していた。コミック2冊とハードカバー1冊。僕が集めているコミックの新刊や面白そうな本が必ず見つかる為、後で本を抱えて幸せな気分と薄くなった財布の間で苦笑する。

新大阪の駅を出たのは13時20分頃。新幹線で帰っても良かったのだが、本を買ったので少しでも節約したい。どうせまだ昼だし今日は帰ってから何の予定も無いし、鈍行で帰ることに決めた。これだと4000円で帰れるのだ。

姫路行きの新快速で出発。思ったより込んでいて、このままずっと立っていくのは辛いな、と思ったが大阪で大量に降りてくれたので席確保。読みかけだった本を読みつつ風景を眺める。

電車の中から外の風景を見ているとき、視界に車や人が入ってくるとなんだか安心する。あぁ、ここにずっと住んでいる人がいるんだな、と思うと。普段自分の住んでいる所以外の場所の人の生活なんて見えないし、テレビの中の町の風景はどうも現実感に欠けるように見えるので、時々自分の実家周辺と今住んでいるところの周辺しか人が住んでいないんじゃないか、という気がするのだが、自転車で走る人達、子供が遊んでいる公園、車がたくさん停まっているスーパーの駐車場など見ると、ここで生まれて育っている人がいるんだな、と思って嬉しくなるのだ。

そんなことを考えている人を乗せて電車は走り、姫路に到着。ここで上郡行きに乗り換え。接続が良くすぐに出発してくれた。景色はすっかり落ち着いたものになった。これで晴れていれば、なぁ。

人もまばらな電車は揺れて、終点の上郡。次の電車は何時だろう、と時刻表を見ると30分後。山陽線ってこんなに本数少なかったのか。ベンチも空いていなかったので用事で電話したりまた本を開いたりして時間をやり過ごした。

30分後に来た岡山行きに乗ってまた50分電車に揺られる。聞こえて来る会話もだんだん大阪弁から岡山弁に変わってきた。

17時20分頃に岡山に到着。新幹線改札を通らないで岡山で乗りかえるのは久しぶり、というか初めてだと思う。20分後に発車する快速マリンライナーがあったので早々に自由席を確保したのに電車は連絡電車が遅れた影響で一緒に発車も10分遅れてしまった。

もう暗い瀬戸大橋を電車はわたって行く。外を見ても電車内のほうが明るい為自分の顔ばかり鮮明に写り、塩飽諸島なんて見えやしない。

こうして18時40分頃、やっと地元駅到着。親に迎えに来てもらい、反対を押し切ってかけつけ一杯近所のうどん屋に。小だったので食べ応えはそうないが、うどんに乗せたちくわの天ぷらをかじっただけで満足だ。

さ、羽伸ばし羽伸ばし。

遊ぶ、遊ぶ。

2003年2月28日
今日、香川に帰るつもりだったのに…。兄と兄彼女に誘われて呑むことになってしまったので昼間が完全にフリーになってしまった。兄も用事がある。一人で過ごすのも暇だと思い、またもやぷこ嬢(お気に入り参照)と連絡をとり、遊んでもらうことに。

13時京都駅切符売り場前集合だったが、30分遅れるとの連絡を受けたので京都駅地下のドトールに篭って読書。ここのココアは本当に美味しいと思う。

無事合流して今度こそ「アローン」のオムライスにありついた。出てきたオムライスは噂どおりの巨大なもの。チキンライスを卵が包み、それにケチャップではなく薄茶色のあんかけのようなソースがかかっている。端から見ると天津飯のようだ。

一気に襲い掛かる。先ほどドトールでココアと一緒にホットドッグも食べてしまったのでかなり辛かったが、20分後には完食に成功。福神漬けはしっかり残させてもらったが。炒めて仕上げるチキンライスが好きなので炊いて仕上げるチキンライスの重さが少し辛く、ソースも多少すっぱい気がした。途中で高校生らしき4人組が入ってきた。2合で580円は学生の味方だと思う。

食べたので少し運動、という気分で京都御所に移動。ここでも梅がたくさん咲いていて、広い御所の一部をとても華やかにしていた。暖かかった今日はカメラを持った人、写生している人もいて、和んだ雰囲気が漂っていた。隣接する桃林の花は残念ながらまだまだ。桃の節句には間に合っただろうか。

ぷこ嬢と遊ぶと最後に行きつくのは何故かゲーセンだ。今回は「子育てクイズ マイエンジェル」を全クリアすることが目標。京都のゲーム機は1ゲーム50円なのが多いのでとても助かる。僕はどちらかというと日本史や文学系、生活雑学に強いほうでぷこ嬢は理科系、特に自然科学に強い。ついついオタクに育ってしまいがちのこのゲームだが、終盤ではお色気、マジメ方向に傾いていたので満足していたら最後の最後でオタクに転がってしまった。瓶底メガネはかわいくない。これで結婚式か……?と思っているとエンディングの絵は指定なのかきれいな娘のウエディング姿だったので一安心。16か7で留学した息子は2度ほど帰ってきたもののエンディングにも姿を現さなかった。不憫だ。

ここで、兄との待ち合わせ時間が近づいたのでぷこ嬢にお礼を言って別れる。上新庄の居酒屋で感動的に美味しい茄子の田楽や帆立のチーズ焼など食べ、カラオケでもともと良い声をしている兄と合唱部出身で宇多田や浜崎など高音バリバリでも余裕で歌える兄彼女を前に自分の声の余りの声量のなさに凹みつつも楽しむ。

夜1時半頃帰宅。2時半頃就寝。お疲れです。

論文上がったので、今日から帰省します。
大阪で途中下車して兄の家に泊めてもらい、関西一帯で遊んでから実家に舞い戻ることに。昨年はどういうわけかあと学割が2枚しか残っていないという状態なので、交通費節約のためにも…。

というわけで、またも更新が滞り気味になってしまいます。なるべく書けるようにしたいと思ってますがもうこの言葉は風が吹いたら消えそうなくらい弱い輝きしか持っていません。

つーか、朝6時現在でまだ荷造りが終わってない時点でもうちょっと焦れって感じですが。それはともかく、しばらくの間羽根を伸ばしてまいります。

TOEICの勉強もしようっと。あと漢字検定も。
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電車を乗り継いで新横浜、9時16分発のひかりで出発。即眠りに落ち、11時40分に京都着。ここで降りてロッカーに荷物を封じ込め、ぷこ嬢(お気に入り参照)と久しぶりにお会いする。関西で降りると必ず遊んでもらっているような。

今回の目的の1つは中京区にある「アローン」という喫茶店?でオムライスを食すこと。ここのオムライスは2合の米を使って作る巨大なもので、名物と言ったら名物だそうだ。期待に胸を膨らませつつ行ってみると、改装工事で26,27休みます、との張り紙が…。1月6日に来たときはまだ正月休みで入れなかった。どうもこの店には縁が無い。

針路変更。ぷこ嬢が以前美味しいと言っていた親子丼のお店に向かう。場所も名前も失念してしまったが、典型的な日本家屋と言った店。和風の庭には梅や紅葉の木があり、どこからともなく鹿威しの音が聞こえてきそうだ。

そんな店で食べた親子丼800円。山椒と出汁の味が少し濃く感じたが、とても美味しかった。特に一緒に付いてきた鶏スープが絶品。塩加減も強すぎなく、とても良い旨みが出ていた。このスープを使った鶏鍋が食べられると言うことだが、1人前6000円より。涙を飲んで諦めた。

その足で北野神社に梅を見に。2月の末にもなると梅が大分花開いていたが、まだ五分咲きと言った所か。それでも紅白の梅が鮮やかに咲き誇っており、良い香りが満ちていた。五円でお祈りもして、花と香りを十分に堪能。

その後ゲーセンで音ゲーを楽しみ、兄と夕飯を食べる約束をしていたので7時ごろ移動しようかな、と思っていると兄から
「悪い用事が入った。10時ごろ来てくれ。飯食っていいから」
とメールが入る。…どうしよう。

用事があるぷこ嬢と別れて本屋で時間を潰してもまだ8時半。腹も減った。昼にオムライスを食いっぱぐれたのでオムライスがどうしても食べたくなり、京都駅地下の「卵と私」に。海老とほうれん草のクリームソースオムライス、こってりが気にならない人ならとても美味しく食べられます。1.5倍のLサイズでも値段が変わらないところがさらに良し。

やっと手ごろな時間になったのでJR京都線で大阪に。兄の部屋で酒盛りしてそのまま就寝。

タメっていいな。

2003年2月21日
国会図書館に行くために使う丸の内線・国会議事堂前駅の付近を夕方通ると、かなりの確率でネコに出会う。黒白のブチしかいないのかと思っていたら茶色、似ているが違う白黒のネコがいることもわかり、時には全員揃って現われる。調べ物で疲れているときには何となく癒される気分だ。

さて、今日はまたオフだ。「タメ同士で呑もう」という企画が某所であったので参加表明。今回もオムライスの時と同じく全く知らない人同士という中に突っ込んでいくことになったが、どうにかなるだろうと思って。

調べ物をしてから新宿に移動、ゲーセンで時間を潰して集合場所だったアルタ裏の花屋に。もう既に10人ほど集まっており、一目で今日の参加者だとわかった。最終的には23人も集まってしまったこのオフ、幹事さんお疲れ様です。

大人数で新宿つぼ八に移動、適当に席に着く。38度もの高熱ながらも幹事であるが故にキャンセルできなかった幹事さんの一声で飲み会開始。僕の座るテーブルはまったり嗜好の人が多かったらしく、自己紹介もそこそこに楽しく喋りながら飲み食い、という感じだった。

しかし僕の背中ではすごい勢いの宴が…。

後から遅れてきた人、お詫びと称して駆けつけ一気×3。店員止めろよ。どちらかというと普段もまったりな呑みに出ることが多い僕。居酒屋で脱ぐ人初めて見ました。コールの嵐が巻き起こり、僕はそういう雰囲気も嫌いじゃないので(酒で少し麻痺してたし)笑って見てたが、関係ない別のテーブルの脚に「俺達3人の中で誰が一番タイプですか」て絡むのはやめてくれ。最も激しかったテーブルにいた幹事さんがこっちまで避難してくるし。

そんな一次会を2時間過ごし、2次会に移動。2次会は呑み放題つけないで個人のペースと責任で呑むことになったので僕は大人しく烏龍茶に。ここでもう一度自己紹介して、呑む人は呑み開始。けっこうみんなソフトドリンクに逃げていた。

それでも壊れる人は壊れるもので。

だから脱ぐな!トランクス1枚になるまで脱ぐな!その姿で隣のふすま開けて乱入するな!
肩車して別の部屋に乗り込んで行くなー!!
も、もうちょっと押さえてくれ…お願い。

そんな風に暴れない組は暴れない組で「いせの」(いせのせ?『いせのせ』の掛け声ともに両手親指立てて、言った数字と立ってる親指の数が合ってれば片手を下げれる、最後まで手が残ったら負け、てゲーム。うちの地方では『せのでは』て掛け声だったが)で、負けたら既に潰れている奴を起こしてディープキス、なんて罰ゲームやっていた。僕は6人中4番で抜けて事なきを得て、負けた幹事さんは数秒にわたるキスを披露してくれた。「風邪移したからな!」と。かっこいい。

されたほうはされたほうで呆然としていたが、後に掲示板の書き込みで「二次会の記憶がありません」と言うのでまぁいいとして。

こんな風に2次会も終了。元気のある人たちは3次会と言う名のカラオケオールに繰り出していった(幹事さんもオフレポのために体を押して…本当に幹事の鑑だな)が、僕は疲れがたまってるのか少し頭痛したので帰ることに。数人と電話番号の交換もしてお別れ。また遊ぼう。

最終の急行も捕まえて、満員電車に揺られて帰宅。1時過ぎてたが楽しかったからいいや。

今日の日記

2003年2月20日
偶然見つけた。一気に読んだ。


http://ton.2ch.net/hosp/kako/1014/10141/1014187303.html

http://ton.2ch.net/hosp/kako/1016/10161/1016126461.html


だめだ。だめだ。だめだ。
涙が止まらない。

何したっけ。

2003年2月19日
やっぱり夜中でもサービスエリアに泊まるたびに明かりをつけるため目が覚めてしまうバスは人の安眠を妨害しつつ走り続ける。疲れが溜まっているのもあるが、3回目の夜行バスなので慣れてきたのかいくらか寝付けるようになった。

朝5時過ぎに新宿到着、解散。僕はそこからさらに電車に揺られて7時に自宅到着。睡眠不足、寝起きだったと言うのに吉牛食べるのはいくらなんでもだめだろ。

家に帰ってきたらテレホが終わるまでネットで巡回コースを回り、ベッドに倒れこむ。ここから17時までの記憶が本当にございません。

かなりへたれたところばかり見せた旅行だったが、楽しかった、と締めくくって良し。せめてもうちょっとスキー技術を身に付けようと思わされたものでした。まる。
8時、朝食で起こされる。
寝起き10分だったがオムレツ、きんぴらゴボウ、味噌汁などの朝食を食べ尽くせたのはどうかと思うが、まあ良い。

今日もスキーに行こうか、という人もいたが僕含め数人がひどい筋肉痛に悩まされていたので今日はのんびりと行くことに決定。8人中4,5人がまた布団にもぐりこんだし。チェックアウトが13時だったのが嬉しかった。

それまでの間、意識があった者でまたトランプ開始。他にすることないんかい、とも思ったがここは温泉宿で、カラオケやゲーセン、観光地的なものは本当に何もなかった。しかも夜行バスが19:10発だったので先に土産など見に行くといよいよ暇を持て余すことになる。

トランプでも盛り上がれば時間がすぐ経っていくもので、13時が来て部屋を出ることになった。だがバスの時間まで荷物は置いといてもいい、と言ってくださったので荷物を置きっぱなしにして土産物の物色に。長野県との境なので蕎麦とかも置いていた。ベタベタなのだがクッキーにチョコレート、それに名物として蕎麦を購入。ご当地調味料などもあったが家にいくつか余っている唐辛子系だったのでここではパス。

それから遅すぎる昼食を食べてそのまま店で談笑、僕は途中沈没という失態を見せたがこれでやっと4時。まだまだ時間がある。かといって他の店は粗方閉まっていて、このままでは遭難してしまう。そこで宿に戻ってバスまで時間を潰させてもらおうとお願いすると、快く迎えてくれたので一安心。お茶も出してくださってストーブの前で固まっていた。

もうみんな眠気と疲れが溜まっているらしく口数も少なくなってきた。テレビに映っていたアンパンマン、ポケモン、ニュースに妙に真剣な表情で見入っていた。しかし最近のアンパンマンの登場人物はわからない。おべんとうマンなんて初めて見た。法被を着る味付け海苔を飛ばすあの人の名前はもう覚えてない。ポケモンはもともと何も知らないのでパス。

そのように過ごしていると、宿のお婆さんがリンゴを持ってきてくださった。丸のまま8個も。それを鮮やかに切り分け始めたのだが、切る、切る、切る。1人1個のリンゴはきつい。5個目を切ったところで止めて、後はこっちでやらせてもらった。甘いリンゴ、やはり美味しい。

6時半頃、そろそろ準備しなきゃ、と動いていると今度はお婆さん、プリンを持ってきてくださった。自家製プリン、とろっとしていてカラメルが不思議な味。美味しかったです。

すると今度はおかきを持ってきてくださった……そ、そんなに気を遣ってくださらなくても。こっちは無理を言って休ませてもらっているんだから。

時間が近付いたので深々と宿の方に御礼を言い、バス乗り場に。雪がぱらついていたのだが、地面に落ちても溶けずにすぐに積もりだすのはさすが雪国。

雪が降る中、無事夜行バスは出発。始めはうちのメンバーしかいなかった。途中でいくらかバス乗り場があっていくつかのグループが合流したのだが、僕達のグループと通路を挟んで座ったグループのうちの一人がわめきちらすのが気分悪かった。

途中、妙高から竜王方面に向かって走っている時、路面が凍りついてしまって一般道の坂を登れなくなる、という事態が発生した。運転手はブレーキを踏み、添乗員さんが滑らないように自分のジャンパーをタイヤに挟ませてチェーンを巻く作業をしていたのだが、それについて愚痴愚痴と不満を言い続け、20分くらいかけてチェーンを巻き終わって添乗員さんがこの事態について説明し始めた時に「詫びはどうした、詫びはーー!!」と大声で叫んだ。これはある意味緊急事態だし、全く詫びを言う必要もないと思うのだが。寒い中苦労してチェーン巻いてくれたわけだし、労いの言葉をかけても詫びを怒気を含んだ声で要求することはないだろう。というか、酔っ払ってバスに乗るな。

そんなことも起こりながら、バスは一路東京に向かって走り続ける。

悔しいぞ、これは。

2003年2月17日
そういうわけで、サービスエリアに入る度に煌煌と照らされて目が覚めるのにやりきれなさを覚えつつ、朝8時に妙高高原到着。泊まった宿は「越前屋」という旅館だったが、新潟で越前とはこれ如何に。

レンタルのウェア、板、靴と全て試してみて10時ごろスキー場に。スキー板履いていると緩い坂も滑って登れない……。リフトに乗車地点前で転んでしまって慌てて身をかわしてよけたのだが、リフトは止めるし立ち上がれないし、係員のおっちゃんに手伝ってもらってやっと乗る始末。不安で一杯になった。

初めてなんだから下で練習してくりゃよかった。
ボーゲンがうまくできないどころか、転んでも立ち上がれない。そして曲がれない。すぐ転ぶ。スキー得意な後輩や友達が根気良く指導してくれたがうまくいかず、偶然通りかかったスキーコーチしている人が「板持っていってやるから降りて帰ってきて、下で練習しろ」と。ゲレンデを歩いて降りるのはとても惨めな気分で、悔しかった。

下でボーゲンの練習をしてある程度できるようになって、15時ごろまたリフトで上に登ったのだが、どうしても曲がるのがうまくいかない。斜面がきつくならないように直滑降ではなく横に向いて滑るつもりで滑り、端で必ず転ぶ。この日転んだ数は100じゃ足りないはずだ。このスキー場は初心者向けコースがなく、一番傾斜が緩いコースでも600メートルはある。17時ごろになってもまだ6分の1しか進めてなかった僕は指導してくれてるみんなに先に行ってくれて構わない、と言ったがみんな大丈夫だから、と付き合ってくれる。嬉しかったのだがとてもこれが重くて、自分が情けなくて泣けてきた。さらに時が経って日が暮れだし、風が強くなってきたところで僕も全身の痛みと疲れでグロッキーになり、板を脱いで下山した。悔しかった。

宿に帰り着き、休憩して温泉に行こうとするともう夕食の時間で、冷めてしまうので先に食べてください、と旅館のおばちゃんに引きとめられる。牛筋と野菜の煮込み、鮭のホイル焼き、串カツにロールキャベツ、タコのマリネ、どれもとてもおいしゅうございました。

温泉は鉄分を多く含む鉱泉で、体を洗ったタオルが茶色く染まってしまうという事件も起こったが冷えて痛む体に染み渡って最高だった。

7時半。部屋に帰って、僕を除くほとんどが呑み会に備えて仮眠を取り出す。僕はそう眠気がひどくなかったので本を読んで時間つぶし。呑み会を9時からやると言っていたが、いざ9時になっても誰も起きない。それどころかみな熟睡の表情。隣の女の子の部屋を覗きに行くと布団敷いて電気消して、とまるで「朝まで起きません」と主張しているかのような様子。とりあえず1時間様子を見ようとすると意外にもみんな自発的に起きてきてくれて助かった。

そうこうして呑み会開始。うちのサークルではこういう場では大抵トランプでババ抜きや大富豪をして、ビリは質問攻め、という展開で行く。どうやら僕の質問傾向は他メンバーと甚だしく異なるらしく、「好きなパンは?」とか聞いただけで「どんな思考回路してるんですか?」と言われてしまった。この前の合宿で「好きな天気は?」「好きな調味料は?」「今日寒いと思いませんか?」と聞いたら変人扱いされたから押さえたのにな。

仮眠しなかったからか、疲れてたからか、3時ごろひどい眠気に襲われて1番に沈没、情けない…。そしてこのあたりの記憶があまりない。何を口走ったのだろうか。
弱くもないが強くもない、長く降り続きそうな雨の降る朝11時頃、家を出る。旅行は夜行バスで行くので集合は21:45なのだが、昼間は日記の方とは全く関係のない、新宿でオムライスを食べるオフだ。しかし新宿に行く前にうちから4駅先にある図書館で借りた本を返さなければいけなかったので集合2時間前に出た。

一旦家を出て電車に乗るが、2駅行った所で手袋を忘れたことに気がつく。旅行の行き先は新潟だ。手袋がなければ手がかじかむですまないかもしれない。急いで引き返して、駅員さんに頼んで改札を通らせてもらって帰宅。手袋を取り上げてエレベーターを降りてエントランスのドアを開くと部屋(5階)に傘を忘れたことに気がつきまた取りに帰る。無駄な労力使いっぱなしだ。

2時間前行動にして正解だった。ギリギリ集合時間に間に合う。今日のオフ会のメンバーさんとは全員初対面。遅刻なんて失態演じるわけにはいかない。

自己紹介もそこそこに今日のお目当てのオムライス屋さん、西新宿の「ラケル」に。昼食時を少し外したからか雨だからか日曜だからか、店内は客もそう多くなく6人でもすぐに座れた。僕が食べたのは香味チキンのオムライス?(正確な名前失念)牧童風のセット。牧童風は量が多いらしい。カレー味のライスを卵で包んだオムライスは大変美味しく、すぐに食べ尽くした。美味しいものを食べてるときは本当に幸せになる。

会話も弾み(主にドラゴンボールや参加者が通っているサイト)あっという間に3時間居座っていることに愕然として場所移動。ここで〆のはずだったのだが、幹事さんがゲーセンに行く素振りを見せていたので全員でゲーセン2次会に。幹事さんともう1人、ポップンミュージックの熟練者がいらっしゃってそのプレーを見ていたのだが、何故あんなに早く9つのボタンを押せるのだ。腕が絡まないのか、間違わないのか…。ボタンが多いと混乱する僕はDDRと太鼓の達人専門。むずかしいモードのマジンガーZで170コンボ出せたから満足。

5時半頃2次会も終わり、解散かな…と思っていると
「夜行バスの時間何時ですか?よかったらその時間までお付き合いしますよ」
とみなさん言ってくださる。おぉ、なんて温かいんだ。

予定が入ってらした幹事さんともう1人の方はここでお別れ。ありがとうございました。4人で居酒屋に入って3次会開始。またとりとめのない話をしていたが東京の高校生ってお小遣い多いんですね。高3の時に2万円ですか2万5千円ですかそうですか…。僕なんぞ7千円だったが。これでも多いほうだと思っていたが。でも、交通費食事代全て込みだと言うので、高校までチャリ通弁当派だった僕はこのくらいの金額が妥当かも知れぬ。

そのまま9時までお付き合いいただき、新宿駅で解散。みなさんありがとうございました。そのまま僕は都庁バスターミナルまで歩き、サークルのメンバーと合流。ちょっと遅れて到着した夜行バスに乗り込み目指すは一路妙高高原。

……深夜のトイレ休憩の時に、バス内照明全点灯させないでくれ。
国会図書館からの帰り道、ふと空を見上げるとうろこ雲が広がっていて、その近くで綺麗なオレンジ色をした太陽が輝いていた。それに重なるように2本の飛行機雲がクロスしていて、とても趣深い空模様を作り上げていた。やっぱり空っていいなぁ。晴れてても雨でも、色々な表情を作り上げてくれる。

さて、更新が滞っております。
8000字のレポートはまだ推敲・手直しは全くやっていないが6800字まで終了。まだ読み終わってない資料もあるし、それに後記をつければ何とかなるかな、という見通しです。

明日からは、昼間にとあるオフ会に参加した後、
夜行バスで初めてのスキー旅行で新潟まで行って参ります!
あー、怖いけど楽しみ。
この日のために論文も普段なら最終日まで悲鳴あげながらやってるのにかなり早くから着手したんだ。

というわけで、再開は早くて19日からになります。
間が空いた分は埋め合わせしようと思って……と何度吐いただろうこのセリフ。善処します。

それでは、ごきげんよう。

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