秋に、京都に住む友人・TAからメールをもらった。

「2月に泊めてくれん?日は決まってないけど、ばらけるかもしれんし連続かもしれん。長くなりそうやったら他にもホテル取るし」

非常に怪しいメールだ。何でこんな内容…と、ここで「もしかしたら仮面浪人?」と思って聞いてみる。返事は返ってこなかった。

で、2月に入った頃、「ゴメン!メール送れてなかったのに今気づいた!」とメールが入り、やはり仮面浪人だったと。泊まりに来る日も決まったのであとは詳細を詰めて、今日やってくる。

来るのは夕方だったので午前は国会図書館まで資料漁りに。敷地内の梅の木に花が咲いていた。冬だな、と思う。

来るのは4時ごろと聞いていたので、それに合わせて帰宅。家でのんびりしているとメールが入ったので最寄り駅まで迎えに行った。すると駅のアナウンス「人身事故が発生しました影響で電車の運行を見合わせております…」

何というタイミングだ。駅では「現在救出活動が行われております…」と非常に生々しい放送が流れている。飛び込んだ人の命も気になるが、電車が止まるのも辛い。

一度家に帰ろうとすると、TAから「電車動いた」とメールが来たので待機。5分後にはよく知った顔が見られた。1年ぶりである。懐かしい。

とりあえず家に招きいれ、勉強の邪魔をしない程度の昔話、雑談を交える。TAとは10年来の友達だ。勝手がわかるのでとてもやりやすい。

夕飯は近所のデニーズへ。1000円の夜デニセット(パスタ系+サラダorスープ+デザート)を頼んでパンの売り歩きを1つ買って食べる。パンを食べ終わると店員が寄ってきて
「デザートはもうお作りしてよろしいですか?」

いや、まだ何も食べてないのだが…。
その旨を告げると「失礼いたしました」と言って帰って行った。

その数分後。また別の店員が僕のほうに寄ってきて
「デザートはもうお持ちしてよろしいでしょうか?」
だから何も食べてないと言うのに。
「いや、まだ何も来てないんですが」と告げると
「大変申し訳ございません」と頭を下げて、3分後にはパスタとサラダがいっぺんに出てきた。ちょっとは間空けたほうがいいと思うが。ここのデニーズはまだ出来て日が経ってなく、店員の対応も初々しさが残っている。立地条件は最高なので頑張って欲しい。TAの食事代は景気付けのつもりで僕が奢ろうとしたが止められたので半分だけ払ってもらった。

食事を終えて家に帰り、後は食事前と一緒。TAは「受かったら儲けもの」というつもりで受けているらしいがそれでもやはり気は遣ってしまう。最後のほうは疲れてきたのか雑談がメインになっていたが。

0時に就寝。がんばれよー。

なめてかかるな。

2003年2月11日
朝7時。目覚ましが鳴る…眠いな。もうちょっと寝ても大丈夫。7時半に起きれば余裕。目覚ましかけ直して、と…。

起床。

8時14分。

………

うぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

今日は吹奏楽祭の本番、僕は合同バンド演奏にも出演する、と言うかパート人数不足で参加せざるを得なくなったので参加しない方は12時集合なのに、練習のため9時20分集合。うちから会場まで乗り継ぎがスムースに行って40分。

10分遅刻して会場入り。何だ、結構みんな遅刻してる。
音出しをして、最後の合奏。今回やるのはホルストという作曲家の「第二組曲」という曲で、ユーフォニアムには山ほどソロが当てられる非常に苦しい曲だ。幸い、うちの楽団の滅茶苦茶上手い方が一緒に出てくださるのでソロをほとんどお任せ。その代わり静かで短い第2楽章を1人で吹け、と。頑張ります。

合同バンド演奏も大事だが、うちのバンド単独の演奏も大事だ。今年やる曲は伴奏が多く、単調な上に長い、というやる気なくす曲だが裏方がいるからこそメロディーは映える。

この吹奏楽祭はほとんど内輪で楽しむための祭りなので、舞台に乗ってもほとんど緊張はしない。だが、曲の始めの一音はさすがに躊躇う。大抵失敗しないのだが、コンクール四国大会の本番で開始10秒、フォルティッシモで音外したのは今でも忘れない。今回は無事に狙った音が出たので良し。しかし、やはり単調な曲は疲れる…。

合同バンドのほうは辛かった。第2楽章、ほぼ上手くいっていたのだが、大事な高音が出なかった…凹む。

と、なめてかかったらこういう目に遭うわけだ。

その後、仲のいい3人でご飯を食べて、またゲーセンで太鼓とDDRをやって帰宅。重たい楽器を持って3キロくらい歩いたので、手伝いの時より腕が痛かった。

休日満喫。

2003年2月10日
昨日は結局帰りついたのが12時になってしまった。その疲れがまだ抜けきっていなかったので図書館行きはお休み。家でごろごろすることに。

僕は家でごろごろすることにしたら本当に家から出ない。格好も楽なのでジャージのまま一日過ごす。今日は突発的に休暇を決めたが、「この日は家でごろごろしよう!」と決めたらわざわざその数日前から食料を準備したりする。ごろごろすると決めた日からは煩雑な用事を徹底的に取り除く。

そうして、音楽を聴いたり昼寝したり、快適にごろごろを満喫していたが、夜になっていきなり現実を取り戻してしまって論文を書き出し、完全に休日を満喫はできないのだった。2月中旬〜下旬は何かと忙しいので今のうちにやっておかないと帰省の時間が取れない。

8000字のうち、4000字まで完成。あと半分だが調べた分の資料が底を尽き始めた。何とかしないと。
一日ずっと椅子を、譜面台を出し入れしてました。
吹奏楽祭のセッティング担当。
それだけなら別にいいのだが、女子高校生3人を連れた4人のチームの責任者は思った以上に辛かった。みんな働き者でテキパキしてくれたから凄く仕事は捗ったが、会話のタイミングが取り辛くて。

もう1つのチームの子たちもとても働いてくれて、普段なら時間オーバーしまくりのところ予定より5〜10分も早く進めてしまう。これはこれでいいことなのに仕事を早めに進めて怒られるのは何だか納得行かないな。

全ての仕事を終わらせた後、楽団の人に誕生日前の人がいたのでお祝いで居酒屋に。ぱーっと騒いでゲーセンで太鼓の達人。☆6の曲ができるようになりたい…。

吹奏楽祭の途中はずっと座れなかったので腰に来たし、呑みで頭がフラフラになりかけて、最後にゲーセンで太鼓の達人、DDRで腕にも足にも来た。別に体を痛めつけたいわけではないのだが。
数日前に、父から出張で東京に来るので飯でも食べるか?という電話が入った。本当に、ものすごく珍しい風の吹き回しである。僕の家から父の会社までは大分遠いので普段ならまず「時間ないがー、残念やなー」と笑われて終わるのだが、今回は金曜出張で泊まりだったので、休みの土曜日に会うことができたのだ。

10時集合だったのだが僕が見事に寝坊、11時に変更してもらってとりあえず渋谷で落ち合う。1ヶ月ぶりだが親の顔はそうそう変わるものではない。

話を聞くと、浅草にまだ行ったことがないから行きたいと言う。というわけで銀座線で浅草まで移動。雷門をくぐって仲見世通りで人形焼を食べ、浅草寺でお参り、とごくごく普通のコースを辿るが父はそれで満足らしい。他にあるお堂とかにも行く?と聞いたがあまり興味なさそうだった。

昼ごはんは浅草のお店で天丼。特上天丼なんて食べるの何年ぶりだろう。美味かったー!けど天つゆは味濃すぎ。だんだん胃にもたれてきた。

次は上野に。今回は父の希望に添うように行こうと思っていたので、鈴本演芸場で落語を見る。中はほぼ満員、盛り上がりも上々だった。

しかし先ほどから歩き詰め、いい感じの暖房、入ってすぐに始まった志ん輔さんの話は覚えているのだが、その他の方のは全く記憶に残っていない。ごめんなさい、落語家さんたち。

父の飛行機の時間の関係上、途中で引き上げて浜松町からモノレールで羽田に。また茶を飲みながら語らって搭乗ゲートで見送った。今では年間で100日も顔を合わさない。こういう機会を大切にしたい。

帰り、浜松町のBOOKS談に立ち寄ったのだが、なぜ今月に限って集めてるマンガが一斉に発売されているのだ。さらに大好きな高橋しんさんの新刊まで出ている。変な見栄も働いて(実際面白そうだったし)新書も一冊購入、合計6冊も本を買ってしまった…衝動買いの癖も治さないと。

あーあ…

2003年2月7日
人は時に、どうしようもない衝動に突き動かされるものである。それは理由をつけたくてもつけられないものだが、どういう理由かそれに抗うことは難しい。

…深夜1時にどうしてもじゃがいもが食べたくなり、皮も剥かずに切り込みだけ入れてオーブンレンジで焼きました。焼きあがったらクレイジーソルトとマーガリンを塗ってフォークで崩しながら食す。美味しゅうございました。

それから寝ようと思ってコンポにCD入れる。僕のコンポはCDが3枚入るタイプで、再生を押すとディスクチェンジャーが動いて曲が流れ始めるのだが、再生を押すとウィーン、ガシャン…という音の後に「ガガガガガガガガガガガ!」とけたたましい音が鳴り響き、慌ててディスクチェンジャーを開けてみる。すると、そこに入れたはずのCDが入ってない…。CDが奥のどこかに挟まったようだ。とりあえずCDトレイを押し込んで奥に挟まったCDをトレイに戻し、何とかして入れてあったCDを3枚とも救出しようと試みる。しかし、奥の狭い空間に入り込んでいるCD3枚、手は入りそうにない。

深夜1時半にピンセットを手にコンポ前で慎重な作業をしている自分が悲しくなってきた。CDを傷つけないように、ゆっくりと引きずり出す。3段重ねになっているCDトレイ、2段目、3段目は救出に成功したのだが1枚目はどうしても取れなかった。CHEMISTRY買ってまだ日があまり経ってないのに。

MD部分は無事、CDはプレステ2で聞けるので放置しようかと一瞬考えたが、やはり修理に持っていかないとなぁ。

53年間の彼女の人生。
欲しかったものはただ1つ、愛だった。

小さい頃から重病の妹に両親の愛情を奪われ、両親に目にかけてもらいたくて自分の望みを抑制し、親の望む道を歩んできた。そのようにして得た教師という地位は、自分のクラスの生徒が犯した罪を隠匿しようとしたがために追われることになり、ムラ社会的な地元を飛び出す。

その後、ひょんなことから色々な男性達と深い仲になるが、松子は決して浮気はせず、相手の愛を得るために躍起になる。それは「殴られても平気だ」と言って憚らないところから見ると、依存的なものだったと言っていいだろう。自分が刑務所に入ったときも、恋人が刑務所に入っているときも、松子は「任期を終えた後から始まる幸せな生活」を夢見て耐えてきた。どの相手と過ごしてきたときも、精一杯の愛情を注ぎ、自分も愛の言葉を受けてきた。だからこそ、別れが来た時の松子のショックの大きさは計り知れない。

彼女の人生は、全てが裏目に出てしまう人生だった。信じていた者に裏切られ、死なれ、見捨てられて。53になって刑務所仲間の誘いを受け、廃人のような生活をしていた松子はまた立ち上がろうとしていたがその志半ばで倒れることになってしまった。できれば、もっと幸せな夢を見させてあげたかった。殺されるなんて人生の終わり方、彼女には可哀相すぎる。

彼女の生き方は誉められたものでは決してない。だが、彼女の生き方を「間違っていた」と頭から斬り捨てることはできない。彼女の歯車が狂ってから亡くなるまでの29年間、彼女が愛とそれに基づく幸せな生活を求めていたこと、そして彼女が故郷の筑後川とよく似ている、荒川を見て流していた涙は、真実だったと思うから。


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『嫌われ松子の一生』 山田宗樹著 幻冬社 2003
今月中旬、スキーに行くことが決まった。

僕は今まで生きてきて、一度もスキーをやったことがない。スキー場に行ったことはあるが、その当時3歳か4歳だったのでスキーをさせてもらえず、僕に与えられた遊具はソリだった。しかも、危ないと言う理由で後ろに兄か親かが座って一緒に滑らないと滑らせてもらえなかった。

まぁこれは正当な理由なわけだが、当時の僕はこれが非常に不服で、一人で遊びたかった。そこで親が目を離した隙に勝手に滑り始めたら、想像以上のスピードが出てブレーキのかけ方を知らなかった僕は内心焦りまくった。このスキー場のソリコースは外れると崖になっており、雪と植林で危険を防ぐようになっているだけだったのだ。運良く雪に突っ込んで止まった(はず。この辺記憶が曖昧)のだが、崖から落ちていたら雪が積もっていても助かってはいまい。こんなところで生死をかけた体験しなくて良いのだ。

こんな経験以来のスキー場。
今度はスキーでブレーキかけられなくて崖に突っ込むのか?
スキー慣れしている方、何かアドバイスをください。

銀座に初めて降りた。
僕は銀座からは程遠い所に住んでいるので用事がない限り新宿以東には近寄らない。ましてや地下鉄なんて乗り換えも面倒なので本当に使わない。今日は、東京に進学で出てきている高校からの友達と久しぶりに遊ぶことになり、メインイベントを「観劇」にしたので会場に近い銀座で落ち合うことにした。

2ヶ月ぶりで、肩下までかかっていたはずの髪がなかったので「感じ変わった」と言うとただ後ろでまとめているだけだった。相変わらず小ボケかます。

この子はもう付き合いも長いし、お互いの表面から裏事情まで暴露しまくっているので、話すときに何の気兼ねもすることがない。でも、いくら声をひそめていたとはいえ昼間のデパートのレストランで、マックでバリバリの下トークはどうかと思った…。
「ここ昼間のレストランだが」
と言っても笑いながら
「いいよ気にしないから」
僕も笑いながら注意してるし、話をやめられなくてもいいとも思っていたので同罪だ。

3時半ごろ、新橋に移動して汐留にある電通四季劇場に向かう。狙っていた公演は「マンマ・ミーヤ!」火曜日の夜公演、チケットは当日券でなんとかなるだろう、と高をくくっていたのだが何と全席完売。とんだ誤算だ。急遽ぴあを購入し、方向転換の相談。その結果、わかぎゑふが主催している劇団「リリパットアーミー?」の公演「空天華」を見に行くことになり、下北沢に移動。

会場の本多劇場で当日券を買い、始まるまで時間を潰してから観劇。食べ物派全てフリーズドライでしか持ち込めない宇宙ステーション一の美食家が亡くなり、2人の息子が後継ぎを巡って、遺言の「究極の生もの料理」を作るための料理人を探す、という話。

はじめのほうはかなり混沌としていてわかりにくかったのだが、ストーリーはだんだんと鮮明になっていく。だが、悪者たちが吉本新喜劇ノリのボケツッコミ入れたり、料理人発掘オーディションにドラえもんが現われたり鮮明になっていくストーリーの一部は混沌としたままだった。このミスマッチが良いのだが。ミュージックハラスメント?という言葉が出てきたときに客席から歓声が上がったのだがこれは名物?主要人物の1人が悪者に捕まり、拘束されてムード歌謡を聞かされ、それでも重要機密を吐かなかったので今度は軽快な音楽に乗った裸踊りを見せられた……。「役者は大変だ」と心から感じた。

わかぎゑふ本人もある意味進行役を担う役で登場。本日限りのゲストの宮村優子とのトークでは、本番なのに近くの店で買ってきたパンを渡されて「これ本番やぞ」「パン食うなー!」と素に戻ってツッコミ入れる。「ほんまにやりにくいわ…」と呟いていた。トークのラスト(トークは公演の中盤に挟まれていた)では「ここから先、アホばっか起こりますけど」「キチガイみたいな展開ですが」と話していた。この後はミュージックハラスメント…。

まだ公演途中なので詳しくは書かないが、僕はとても楽しめた。友達は「面白かったけど展開は好みじゃない」と。さすが現役演劇部、なかなか厳しい評価を下す。

プログラムには山ほど公演チラシが挟まれていた。「オケピ」見に行きたいなぁ。行こう。3月末だからそう忙しくない時期だし。

その後は近くの居酒屋で呑み、呑み。
ここでは恋話中心で、下も普通に混じったが酒の席だからそう問題はなかろう。仕切られてたし。

12時前に解散。
久しぶりに思い切り遊んだ感じがした。
次はいつかわからないが、またやりたいな。

でも、やはりマンマ・ミーヤ見れなかったのが悔しい。
論文を書かなければいけないので最近、また国会図書館まで頻繁に足を運んでいるのだが、確認もせずに行ってみると休館日だった。せっかくここまで来たのに…。

何の収穫もないのに帰るなんてことだけはしたくない。そう言えば最近あまり新書を読んでいない。せっかく都心まで来たのだから何か本でも買って帰ろうと思って新宿まで戻り、紀ノ国屋に入った。

今日届いていた、定期購読している地元タウン誌のBOOKS紹介のページで取り上げられていた、村上春樹編訳の「バースディ・ストーリーズ」を読んでみたかったが、生憎置いていない模様。他の本を何か買って帰ろうと思い新書のコーナーを練り歩く。今回のように予め買う本を決めていることもあるが(買えるか買えないかは別として)、もともと僕は何も考えずに本屋に行っては目に付いたものを買って帰るタイプだ。ふと目に止まった本を手にと取り、レジに持っていった。

お金を払おうとすると、レジ外から店員さんが「この本ですが、今でしたら著者のサインが入った本がありますけどお取替えいたしましょうか?」と声をかけてきてくれた。話を聞くと、数時間前に著者の方が偶然紀ノ国屋にやってきたのでサイン本を作っていただいたと言う。なんて運がいいんだろう。もちろん取り替えていただいた。まだ30代の若い著者の字は気取ったところもなく、しっかりとした字体で書かれていてとても好印象だ。

今日図書館が閉館であることを調べていたら新宿には来なかったし、開館していたら先に売れていたかも知れない。そう考えると、やはり人間万事塞翁が馬だ、と思う。


今日はそう言えば節分だ。
しかしうちでは鬼も来なければ豆もまいておらず、鰯も食べてなければ柊の葉も玄関に刺していない。恵方巻も食べていないし今日夕飯を食べた方角は南南東どころか真西だ。僕が縁起を担ぎたがるのはこの前書いたが、一人だとこういう行事はどうもやる気が起きない。

とある地方では、「鬼を追い出すのは差別に繋がる。鬼にも人権がある」との理由で豆まきを行わない、という教育をしているという噂を聞いたことがあるが、まさか、な…。

魚介類、魚介類。

2003年2月2日
同じ楽団で同じ楽器をやっている司書さんと仲のいい、同僚さんと初めて会ったのは昨年夏の演奏会の時だった。この方はその当時教習所のお金を払ったため少し生活苦だった僕のことを司書さんに聞き、1度夕飯をご馳走してくださったのだが、それ以来僕のことを目にかけてくれるようになり、今でも数ヶ月に1度のペースで夕飯をご馳走してくださる。今日も練習に行くと司書さんが「今日はあの人帰りに私達拾ってくれるかもしれないよ」と言っていて、本当に拾ってくださった。いつもお世話になるのは申し訳ないのだが、先方の言い分では「学生さんはお金ないんだから、こういう時にご馳走になっておくもんだよ」である。

この前はガスト、その前はイタリアンレストランだった。今日はどこに…と協議した結果、回転寿司になった。東京で寿司を食べるのは2年近く住んでて2回目だ。

夜7時半、込んだ店内のカウンターに陣取り、安い皿のイカやサーモンに手を伸ばす。僕はいくらやうになど、一般的に高級とされる食材に苦手なものが多い。マグロが得意ではないのでトロも食べられない。鯛や平目は好きだが先ほどのような事情故、どちらかと言うと安価で住むのだ。

しかし、そのような食べ方が「遠慮している」ように見えたらしい司書さんと同僚さんは「もっと良いの食べなきゃダメだよ」と色々な皿を取ってくださる。高めの甘えびやボタンエビなどが渡ってきて、僕は幸せを噛み締めた。なんて贅沢なんだろう。カウンターが皿でいっぱいになったから早く食べて片付けなければならない、なんて状況も初めてだ。

これだけでも十分に満たされていたのに、司書さんが「これたくさん回ってるね」と、2番目に高い皿のカニの寿司を取り上げ、「食べなよ」と僕の前に置いた。

今夜は僕の部屋だけ停電してもいいと思った。

汁物もいただき、箸を置いたら「もう思い残すことはないの?最後の一皿は?」と言うのでバナナパフェも食べさせていただいた。いくら御礼を言っても足りない。

同僚さんが会計を済ませるのを待っていると、いくらかかったかがレジのほうから聞こえてきた。僕の感覚では、奢っていただくには少し高い金額だ。申し訳なさを抱えながら司書さんと同僚さんが出てくるのを待っていると、2人は「意外と安かったねー」と言いながら出てきた。「あぁ、これが公務員なのか」と強く感じた。

いつもいつも、本当にありがとうございます。
中3の自分は、痛かった。

いくら欲しかったとはいえ、当時の担任に

「機動戦士ガンダム0080の小説探してるんですけど近所の本屋になかったんで先生も探すの手伝ってくれませんか?」

て、素で頼むな…。
いったい「教師」を何だと思っているのだ。

できることなら、当時に戻ってしばき倒して正座させて一昼夜説教したい。担任は優しく諭してくれたがその理由を当時の自分は察したのだろうか。

そして、今でもこの話をふと思い出したように寝たとして語ってくれるポロリ(仮名)よ、いい加減忘れてくれないか。話されるたびに照れ笑いを浮かべてごまかしているが、その胸中は恥ずかしさで一杯だ。自己完結できるのは一体いつのことになるだろうか。

From Australia

2003年1月31日
中学の頃同じクラスで、今オーストラリアに留学している友人からEメールが届いた。3月に帰国する前に日本では無名で通用しないけれども世界では最も認められているらしい検定試験を受けるという。「自己満足と、自分の英語の成長を確かめたいから」と書かれていたのには「らしいなぁ」と思わされ、つい笑ってしまった。

このように、友人が頑張っているのを見ると自分も頑張らなければ、と思う。特に英語の能力の低下には自分でも苦笑するしかない。友人はよくメールの冒頭に簡単な英文を最初に書いてくるので、今回は僕も軽く英文を添えて途中から日本文に変更して返事を書いたのだが、後で読み返してみて「February」の綴りを間違えたのに気付いてショックを受けた。まさか、こんな簡単な単語を間違えるなんて。今年はTOEICも受けたいし漢検の準1級にもいい加減受かりたい。資格取得を目標に据えよう。勝ち負けではないが、頑張っている友人とは切磋琢磨していきたい。胸張って「俺も頑張ってるぞ」と言いたい。

帰国してきたら、是非会っていろいろな土産話を聞きたいと思う。ほぼ5年ぶり、積もる話もある。酒でも酌み交わしながら夜通しでも語ってみたい。

しかし、Eメールは本当に便利なものだと思う。どちらかというとデジタルよりアナログが好きな僕だが、Eメールについては別だ。別の国宛でも瞬時に手紙を送れるし、画像も添付できる。

添付されている画像であいつはHousematesと肩を組んで、最高の笑顔を浮かべていた。

棟上げの思い出。

2003年1月30日
 なんとなく、棟上げに行きたくなった。
 棟上げにも地域差があるので書いておくと、上棟式や建前とも呼ばれるもので、僕の地方では棟上げの日に骨組みの最上段に上って餅、お菓子、お金などを撒くのである。それを親戚や近所の人が拾い合う。小さい頃には棟上げがあることを聞くと、よく駆けつけてお菓子を奪い合ったものだ。行ってみるともう終わっていたときにはとても損したような気分になった。
 
 時に豪華な棟上げもある。小学校の3年の頃だったろうか、近所で棟上げがあったので参加した。始めに儀式を済ませ、家の人や大工さんが餅をばら撒き始めた。餅や菓子はほとんど取れなかったのだが、そのとき札がばら撒かれ始めた。札は蒲鉾板みたいなもので、重いなどの理由でばら撒けないものが書かれてある。僕の目の前にそれが投げられたので慌てて拾った。「スーパーファミコンとか書いてないかなー♪」とわくわくしながら裏返した札には「清酒一升」などと書かれていて、そううまく行かない人生のことを考えながら誰も飲まない清酒を持って帰った。

 取る方はまさにお祭り騒ぎになる棟上げだが、投げるほうも本当に楽しい。一度親戚の家が新しく建てられたとき、拾うつもりで棟上げに行くと伯父が梁の上にあげてくれた。ダンボールの中の餅やお菓子を力いっぱい放り投げる。それに群がる子供・大人たち。何だか神にでもなったような気分ではないか。終始笑顔だった気がする。

 もう5年ほど棟上げに行っていない。親戚も実家も家を建てる様子はないし、今住んでいるところは棟上げで餅撒きを行わないようだ。また楽しみたいものだ。
 
そう言えば、最近のカレンダーには赤口とか大安とか全く書いていないのですっかりその存在を忘れていたのだが、今でも「三隣亡」を気にしている人はいるのだろうか。僕は思い出してしまったので間違いなくこの先も気にすると思う。縁起を担ぎたいのだ。
 昨日は卒論発表会の後追い出しコンパ。
 うちのゼミのカラオケはつくづく間違っていると思う。「It Takes Two」なんか歌うと「なんでこんな真面目なの歌うの?」と言われ、C-C-Bや中森明菜、ピンクレディーなど歌うとものすごく盛り上がる。アニソンが4曲連続で入ってもまったく咎められない。今回も、新譜3に対しナツメロ7くらいの割合で、僕も場に合わせて「勇気100%」や「浪漫飛行」を歌った。楽しいからよし。

 で、カラオケ後ラーメンを食べると時刻はもう1時半。終電は終わっている。僕は隣駅だったので歩いて帰れるが、他の人は電車で1時間かかる人ばかり。ファミレスなど行こうかと話していたが、帰れない人のうち3人はうちで夜明かしすることになった。メンバーは鯖、ひげさん、横浜さんである。

 到着するともう2時。しばらく深夜テレビを見ながら喋っていたがひげさんは早々に沈没、鯖は僕のPCでサイトをいじくっていて、ihomeからログアウトできなくなって悪戦苦闘していた。で、僕と横浜さんは僕の卒業アルバムを見ながら喋る。僕のクラスは男7に対し女25だったので、その状況を羨ましがられた。

 そうこうしているうちに何とかログアウトを済ませた鯖。僕のベッドにダイブしてそのまま眠り込んだ。この時点で、僕は翌朝までの徹夜を覚悟しなければならなくなった。ベッドの真ん中に寝転んだのだ。疲れ切ってたからなぁ、とは思うのだが、僕の枕のほうに足があるのは何となくいい気がしない。

 朝6時半。夜が白みだした頃にひげさんが目を覚ましたので横浜さんとひげさんは帰っていった。鯖は依然として眠り続けている。起こすのも可哀相だが、僕にも眠気が襲ってきた。電車の中でやるように項垂れて寝ようとしたがうまくいかない。仕方なく、クッションの上に寝転がり座布団を枕にした。
 
 …3時間後、あまりの寒さに目が覚めた。エアコンはつけっぱなしにはしていたが、寝ているうちに体温が落ちたのだろう。目が冴えてしまったので洗濯をしてテレビ見ながらネットしていたら11時ごろやっと鯖が目を覚ました。時間を教えると寝ぼけ眼で「……マジで?」と言っていた。マジである。洗濯を終わらせたことも話すとショックを受けていた。
 
 ベッドを占領したことを申し訳なさそうにしていたので、気にするなと言ったがまだ少し気にしている様子だ。だから「じゃあまた何かで埋め合わせでもしてくれ」と言っておいた。別に何も帰ってこなくても構わない。こんな日もあるから。

 その後温かい布団で眠ると、熟睡してしまい目を覚ますと外は真っ暗だった。ま、いいか。

ゼミで、実家の裏で撮った写真を見せたら
 
 
 
 
 
「北朝鮮の穀倉地帯みたい」
 
 
 
 
 
とか言われました(泣)
自分の部屋ほど落ち着くものは無い。

一人暮らしの友達に聞くと、家を出てからは
元の自分の部屋が物置代わりにされていて
帰省してもいる場所がない、などと聞くことがあるが
幸いにも僕の部屋はそのような難は免れている。
なぜか大きな米袋が3,4つ置かれてはいるが
ほとんど2年前と同じ形で保存されている。

そのおかげで、今でも帰省した時には
自分の部屋でゆっくりとすることができる。
9年間過ごした部屋は板張りで窓は北向き、
なぜか学習机は2つあり本棚が大小あわせて4つもある
明るそうな雰囲気は醸し出さない部屋だった。
あまり日が差さないし、カーペットも敷いていないので
冬はとても寒く、一晩そこで眠るだけで
目覚めると鼻先が既に痛くなっているほどである。
そんな部屋なのにコタツもなく、暖房器具は電気ストーブ1つだけ。
だったら夏は涼しいのでは、なんて夢物語で
窓を開けていても風が通りにくく、十分暑い。
壁に据え付けた扇風機は方向調節がうまく行かず
あまり機能していなかった。

テレビも無い。
エアコンなんてもってのほか。
部屋の構造と僕の性格上、9年間北枕。
兄がテスト期間の時はしょっちゅう追い出された。

こうして書くと碌なことの無い部屋なのに、
どうしてあんなに落ち着くのだろう。
どうしてあの部屋があんなに好きなのだろう。

たぶん理屈ではない。
「好きだから好き」でいいだろう。

帰省したらよく、部屋にこもって
CD聞きながらあわせて歌ったり、本を読んだりして時間を過ごし
寝るときには兄が昔勝手に天井に貼ったCHAGE&ASKAや
M.ジョーダンのポスターを見ながら眠りに就く。

そう過ごせることに幸せを感じる。
昨日はあれから呑み会に行ってカラオケオール。
家に帰ってきたのは6時で、泥のように眠り込みたかったが
今日は13時に高校の後輩と遊ぶ約束をしていたので
11時に眠い目を擦りながら起床。

集まりやすい場所で、ということで国分寺駅に集合。
前に会ったのは12月なので、違和感は全くなかった。

もう東京で暮らし始めて10ヶ月になるが
まだこっちでの生活に完全には慣れていないらしい。
「親がほしい」とぼやいていた。
でも、近所に仲のいい親戚が住んでいるので大丈夫だろう。

この後輩は普段からとても元気が良いし、
全く気兼ねなく話せるので楽しい。
商店街出身なので愛想も十分すぎるほど良い。
時に、元気が良すぎて疲れてしまうこともあるが
たいてい平気だ。
普段は標準語を使っているらしいが、同郷の人を前にすると
方言に戻ってしまうのでたとえ東京で会おうとも
標準語を使っているのを1度も聞いたことが無い。
1度くらい聞いてみたいものなのだが。
僕は今日は標準語風味で話していたのだが
いつしかつられてしまって完全に方言に戻ってしまった。

4時間くらい喋りとおして、いろいろと相談事もして
日が暮れかけてきた頃解散。
今度は地元で遊ぶのかな。

とあるサイトで見つけた
「マクドナルドのハンバーガーひとりで何個食えるか!?」
http://www005.upp.so-net.ne.jp/shinta-kyo/mac1.5/mac-1.5.html

たくさんの人が全身全霊をかけてハンバーガーに挑んでいる。
こういうのを見ると、思ってしまうではないか。
『挑戦してみたい』

挑戦することにしました。
フリスクさん(お気に入り参照)を巻き込んで。
昼頃にうちに集合して、飲み物と味のマンネリ化を防ぐための武器、
コチュジャンや粉チーズ、チリペッパーなどを購入。
そしてマックにてハンバーガー注文。
今回は、いけると思う数を自己申告して
その数食べきることを目標にした。
僕が7個で、フリスクさんが6個。
持ち帰りでハンバーガー13個購入、家に帰る。

袋から出したハンバーガーを山のように積み上げて
記念写真を撮ってから挑戦開始。
時間は2時ごろだったので、ワイドショーを見ながら
雑談しつつ食べていく。

1個目。楽勝。
2個目。まだまだ平気。ハンバーガーは普段あまり食べないし
味わう余裕もある。
3個目。味を変えたくなり、チリペッパーを
ふってみるとちょうどよい辛さでなかなか美味しい。
4個め。急に2人の間に会話が無くなった。
別にまだ苦しいわけでもない。
口の中がパサつく感じはする。
5個目。パサつきを押さえるためにジュースを飲みまくるため
急に腹が膨れてきた感じがした。
クレイジーソルトに胡椒を振ってみたが
辛すぎていまいち。
「辛っ!」と言うとフリスクさんが「よし。」と言って
手に持っていたハンバーガーにクレイジーソルトと胡椒を
かけはじめたのだが、僕は辛そうに顔をしかめたのに
何故それを見てその行動をするに至ったのだろう。

6個目。腹は膨れてもまだ入る。
再びチリペッパー。辛みは食欲が増すので良い。
最後の7個目。コチュジャンで食べるが
薄く塗ったはずなのに辛味が強すぎて食べ辛かった。
7個目なのに、正直ほとんど辛くなかった。
自分が大食いなのは自覚していたけれども、
20分もかからないうちにハンバーガー7つを
胃の中に収めて辛くないのもどうかなと思う。
もう少し大量に購入しておけばよかった。

フリスクさんもはじめは「4個くらいかな」と言っていたのに
6個を完食。
「案外いけるものだね」と仰っていた。

お互いがそう辛いと感じることなく食べ尽くした。
ということは…もう1度日を改めて挑戦するべきなのだろうか。
僕は、9個はいけるかな、と感じている。
他に、挑戦者は現われてくれないだろうか。


昨年夏にビデオに録っておいた高校生クイズを
久しぶりに巻き戻して見てみる。

見るたびにやっぱり「一度出てみたかったなぁ」と思う。
地方予選が行われるのは8月の上旬で、
僕は部活で目が回るほど忙しかった時期。
1日でも惜しかった。
せっかく会場は高松と、すぐにいけるところだったのに。

昨年夏のは、昔と比べるとかなり問題が易化していたのは
気のせいだろうか。
問題の7割くらい、僕でも解けるのである。
社会学部なのに政治や芸能の問題に疎いところ
何か間違っている気もするが、
その他の雑学系統になると意外なほど解けるのだ。

数年前の、殺人事件のトリックを解明するものなど
全然歯が立たなくて、テレビの向こうの高校生達が
どのように推理するのかわくわくしながら見てたのに。
ちょっと前に1年だけ復活したアメリカ横断ウルトラクイズの
質の低下にがっかりした時と同じような気分になった。
あれも、毎週木曜日を楽しみに待ってたのになぁ。

これらに限らず、最近のクイズ番組は問題が簡単になった気がする。
「クイズミリオネア」の100万円の問題が
「奥の細道の作者は?」だったりする。
中学校でも習う内容ではないか。

圧倒的な知識で視聴者をうならせるクイズ番組、
また見たい。


※製作担当様、新機能の搭載お疲れ様です。

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