センター試験の日って、絶対に天気が悪い。
僕が現役の時だって、物凄く冷たい雨が降っていた。
3教科受験だったので、両日ともさっさと(2日目は午前だけ)で帰っていったのだが、その時の周りの視線がまた妙に冷たく感じられて。
何だったんだろう……後ろめたさがやっぱりあったのかな。

こんな寒い日は1日家に……て出かけている場合ではない。
卒論提出まであと2日。
夜中にならないとエンジンがかからない僕は、昼間はのんびり過ごして夜中に悩み、明け方に眠って昼間で起きない、というパターンを繰り返している。

明日も出かけないでいいように、今日の夕飯はカレー。
実家から送られてきたダンボールに、明らかにカレーセットと思われるもの(玉葱、ジャガイモ、コーンカンヅメ)が入っていたので有効利用。
肉も冷凍していたし。
しかし、やることがある時のほうが僕はしっかり自炊している気がする。
鳥はむも仕込んだし、ニラ醤油も作ったし、鳥胸のみぞれ煮に鶏肉と舞茸のオーブン焼き……。
ま、全部手抜きでできるんですがね。
安いから良し。

で、現在2時前。
寒いけど飲料水なくなったし、コーヒー飲みたいし、ちょっと表の自販機まで。
風呂は入ったけどひげ剃ってないし、分厚い眼鏡姿だし、ジャージにジャケット来ただけの格好だし人と会いたくないなー、と思いながら降りて行く。
僕のマンションは隣室との交流もなく、誰かと会うと凄く気まずいのだ。
気まずくないのは同じ大学の元お向かいさん(11月に退去)と1階上のOさん(喋ったことはないが顔なじみ)だけ。

首尾よく1階まで降りて、コーヒーと明日のお茶、疲れた時用の炭酸飲料を買い、エントランスで傘を閉じているとうちのマンションに帰ってきたカップルに遭遇してしまった。
うわー……気まずいと思っていると、女性の方はオートロックの扉を開けてくれたまま笑顔で先に通してくれたし、男性はエレベーターで「何階ですか?」と聞いてくれた。
実際、このマンションで「何階ですか?」と聞いてくれたのは、のべ回数で10回くらいだ。
そして、僕のほうが上の階だったのだが、カップルが降りるときに、お互い笑顔でお辞儀した後、「閉」のボタンを押しながら降りてくれた。
たったこれだけのことなんだけれど、何だかすごく気分がいい。

卒論、あと3400。
頑張るか!

心境を語ると。

2005年1月13日
卒論現在1万とんで800字。
1日2000字のノルマは意外と守れている。
何とか間に合う……かな。

そんな状況なんですけどね。
今ものすごくモツとか馬刺しとかユッケとか食べたいんですよ。

笑ってコラえて……

2005年1月12日
男子新体操の旅スペシャル。
小松島高校には感動したねぇ……。

靭帯損傷の怪我を負いながらも痛み止めとテーピングで出場した彼。
顧問が登録変更し忘れたせいで(これは本当にどうかと思う)本番1時間前に出場決定、しかもそれで捻挫、けれども団体競技でしっかり自分の役割を果たした彼。
成績は最下位だったかもしれないが、ものすごくカッコよかった。

いや、青春ですね、高校生。
1度しかない本番のために全身全霊をかける、そういう姿は本当にいい。

高校3年の吹奏楽コンクール四国大会。
演奏開始から10秒のところでフォルティッシモで音を外した。
そして、記念撮影後(吹奏楽は、大会の演奏後には必ず記念撮影をする。県大会、支部大会レベルでも)、顧問に「音を外してすみませんでした」と謝った僕がいた。

今思うと、なんて情けないことだと思う。
こんな言葉が出てくる時点で、全力で取り組んでいなかったことが十分にわかる。
1年に1度しかこない舞台、そこで力を出し切ったなら、たとえミスしていたとしても誇らしい気分でいられただろう。
物凄く心残りだ。

けれど、今コンクールに出てあの時の思いを晴らそうとは思わない。
あの時、あのメンバーでの演奏でなかったら、意味はないのだから。
学校で友達と、励ましあいながら卒論を書く。
10時過ぎくらいに大学で合流、と言っていたのに、友達寝坊しやがって来たのは13時過ぎ。
それまでは図書館で1人寂しく……と思っていたら、サークルの後輩やら1年からの友達やら就職講座の同期やらぞくぞく集まってきた。
後輩を除いて、みんな引きつった笑いを浮かべていたのは気のせいか。

いくらか書ける資料は集めていたものの、それだけでは足りないので図書館で百科事典を引きつつ、ネットで検索しつつ。
学校のネットの調子が異様なほど悪く、短時間じゃ表示されないことにイライラするが、それは仕方ない。
休憩しながらも何とか本日の目標字数は達成したからいいか。

提出は17日。どうなることやら。


朝 ご飯、昨日の残りの鴨肉じゃが
昼 チキンカツサンド、中華スープ@学校のカフェ
夕 ご飯、牛肉とニンニクの芽の炒め物、春菊のおすまし
ISBN:4163230009 単行本 中村 航 文藝春秋 2004/06/09 ¥1,300

2割引で購入。
社割って最高。

大学を退学した小林。
塾講師をする傍ら、彼は携帯電話で教え子のヨシモクを騙ってバンドのメンバーを募集した。
指1本で始まった、彼の物語。

1冊の中に、たくさんの人の物語が詰まっている。
もちろん読む人によっては駄作に見えるかもしれないけれど、1つ1つがとても心に染み入ってくるのは何故だろう。
僕が体験したことではないのに。
小林の、他人の物語を引き出す能力と良く理解する能力が登場人物そのものの魅力を引き出している。

小林が始めるはずだった物語は途中で方向転換してしまうのだが、感動するような夕陽の中、ヨシモクの髪を切りながら自分の物かもしれなかった物語を語るシーンは、切なさと爽やかさが相まって胸の奥が熱くなった。
この部分の絵が頭の中にくっきり浮かんだのだが、ものすごく綺麗なのだ。
自分は1周周ったのだ、と思った彼の中に、これからの彼の物語の原点が見える気がする。

ビートルズの『ヘルター・スケルター』を聴いたことあったら、もっと楽しめたかもしれないな。

やはりこの人の文は柔らかく、けれど勢いやユーモアがあって最後まで飽きさせることがない。
まだ若いし、これからがとても楽しみな作家だ。
この本は、「自分には何が出来るか」「自分がやりたいことは何だろう」と悩んでいる人にお薦めしたい。
同時収録の『月に吠える』は、『ぐるぐる〜」の中であまり語られなかったてつろーとチバの物語。
こっちも、二人の色が良く出ていて気持ちのいい作品。

誰もが、自分のなかに物語を持っている。
僕にだって。
まだ22年間の物語、中身は薄いかもしれないけれど、これからどのようにでもページは増やせるはずだ。
今の時点で「自己紹介してください」と言われたら、何を語ろう。

「……そうですね、僕は自分のことを、目立ちたがりの臆病者だと思うんですよ……

完璧な仲間。

2005年1月5日 読書
ISBN:4309015522 単行本 中村 航 河出書房新社 2003/06/11 ¥1,365

この人の本は前から気になっていたのだけれど、財布に余裕のなかった2004年にはなかなか手が出なかった。
2004年暮れ、やっと購入。

妻の友人の夫であり、主人公の「義理の友達」という不思議な関係である吉田君が、突然置手紙を残して家出した。
それをきっかけに始まる、2組の夫婦の不思議な旅と夏休み。

とても柔らかく、心地良い文を書く人だと思う。
2組の夫婦の離婚問題を巡る話になってしまうのに、何故だか重苦しい雰囲気が1秒たりとも漂わない。
全くハラハラしないのだ。
それは、登場人物全員のやること為すことが全て、小気味良いからだろう。
いたずら心ではないのだが、丁度良いサプライズを含んでいると言うか。

そして、ちょっとずつこの2組の夫婦の仲の良さ、愛情が染み渡ってくるからだと思う。
砂糖菓子を噛み砕くような甘ったるさではなく、冬からだんだん春になるような、そんな感じ。
登場人物が全員本当にいい人で、終始笑顔で読み進めることができた。

派手なストーリー展開はないけれど、爽やかな印象を残してくれるこの1冊。
心がすさみそうな時に読むと、いい気分になれそう。

各々がやっていること、考えていることに、絶対の自信を持っていて。
どんなに不思議な問いでも、「意味がわからない」と切り捨てず真剣に考えてくれて。
深刻な問題を解決するために、一見ふざけた勝負をもちかけることができるような。

そんな仲間って、完璧だと思う。
高校の同窓会という葉書をもらったのは1ヶ月前。
懐かしいなー、と思って出席で返信。

呑むつもりだったので、親に送ってもらったのだが滅多に行かない地域だったので道に迷う迷う。
ギリギリで会場に駆け込む。
受付をやっていたのが軒並み同じクラスだった女子だったので受付から「あー、ぼの(仮名)くんやー!」と叫ばれてにんまりしてしまった。

今回は、学年全体の同窓会で、ホテルに200人前後集まるという大規模なもの。
とりあえず「理数」「総合」など、コース別(うちの高校は2年次に志望分野でコースを選ぶ)のテーブルがあったので、自分のいたコースに行くと同じクラスの面々が揃っていて。
「久しぶりやなー、元気やった?」の応酬。
女の子はみんな綺麗になってるねー。
男は全然変わってないけど(自分含め)

すぐに歓談タイムになったのだが、自分のクラスと部活仲間以外は何となく絡みにくい……。
結局はそういう仲間でみんな固まるのだ。
奥のプロジェクトに、高2の文化祭でやった歌合戦の模様が流れるのを「やめてくれ」と心の中で叫びつつ見る。

途中の、ダンス好きの女教師によるゴリエは見応えあって面白かったが、結局最後まで馴染め切れない感を残して終了した。
やっぱり、同窓会はクラス単位くらいのほうがいいな……。

同じような感想を抱いた吹奏楽部の友達(昨日送ってもらった友達)と、昨日行かなかったJoyfullに移ってドリンクバーで4時間近く粘った。
お互いやっているブログの話や、地上デジタル化と地方テレビ局の今後、大学での研究テーマなど妙に固い話。
アンケート調査の難しさについては大演説ぶちかましてしまう始末。
そして吹奏楽曲やサントラを聞きながら「うわーこのホルンおいしいなー」とか言う姿は、客観的に見るとさぞ奇妙だろう。

終電もなくした午前2時。
初めて、2日連続で送っていただいた。
流石に申し訳なく、あったかいカフェオレを差し入れた。
本当に、本当にありがとうございました……。
高校吹奏楽部のOB新年会。
これも毎年恒例・今回4度目の参加。

会場も毎年決まっていて、最寄り駅の改札orミニストップで待ち合わせするのも恒例。
そして、僕が数分遅刻するのも恒例……。
いつものメンバーと、今年は1個下の後輩も加わって4人でゆっくりと会場を目指す。

いつものように新年会も始まったのだが、最近の低年齢化はどうだろう……と友達と話していた。
20人前後集まったのだが、僕ら(2001年3月卒)より上の方は2人しか来ていなかった。
1人は1歳上、もう1人は20歳くらい上(OB会長)
いつしかこんな古株になったか、と思いながら酒好きな面々でビールや日本酒を煽る。
1個上の年代はもう就職しているので、正月も忙しいというのはあるのだろうが。
この会は交流の他に、夏の定期演奏会OBステージの参加も呼びかけるものなので、たくさん来て欲しいのだ。

2時間呑んで食べて、雑炊の優しさに顔をほころばせて1次会終了。
近くのJoyfullに行こう……としたが途中で方向転換。
ミニストップでこの寒いのにアイスを食べ、後輩3人と合流してゲーセン付バッティングセンターに。
電車で吐いて放置なんて無礼ぶちかました友人とその世話をしていた友人とも合流。
やはりいつものメンバーだ。

23時40分。
終電はあったが、駅からうちまでは夜中は到底歩けない。
街灯はあるが非常に暗く人気もなく、片道6キロだ。
僕よりさらに家が遠く、僕の家がほぼ通り道の友人(うちから6〜8キロ)のお母様に、送っていただくのも恒例。
現役高校生時代からの恒例。
いつもいつもすいません……。

大つごもり。

2004年12月31日 日常
生まれて初めて、雪の大晦日を過ごした。
と言うか、香川県観測史上初。
29日の深夜、同じく東京から帰省していた友達と
「香川で会うことももうないかもしれないし、遊ぼうか?」と言いつつ中止にしたのだが、正解だった。

夜は例年通り、母方の祖父母を迎えてすき焼き。
紅白で目当ての歌手を見たい母・祖母・僕と格闘技に妙なロマンを持つ父・兄が争い、頻繁にチャンネルを変えるのもいつもの光景。
何があっても盆正月は実家に帰る家族であることに少し安心する。

蕎麦を食べ、凍っている飛び石に気をつけながら外に出る。
除夜の鐘を聞きながら見る星はとても綺麗だったが、すぐに雲に隠れて見えなくなったのが残念。
今年は深夜の初詣もなし。
いそいそと家に入り、深夜番組を見ながらのんびり過ごす。

12月28日の日記

2004年12月28日
さて。
今から帰省します。

実家のPCが現在、ネットにつなげない状況なので、今年はこれで〆。
2004年度「今年の漢字」は「災」ですか……。
長雨、台風、地震と今年は本当になんだったんでしょうね。
次々と災害が起こるたびに、順繰りに被災地が忘れられていく。
来年はそうならないことを願っています。

自分としては、今年の幹事は「粘」かな。
世の中、諦めなければ意外と何とかなるかもしれない、と思っている僕はまだまだ青いかもしれませんが。

さて、2005年。
社会の荒波に旗揚げしようと目論むこの年は、どんな年になるでしょうか。
不安ながらも、楽しみです。

今年は喪中のため、新年のご挨拶は遠慮させていただきます。
みなさま、良い年末年始をお過ごしください。

それでは。

…………。

2004年12月27日
私の内心に気付いていますか?
うちで後輩5人と共に鍋。
もともとは「エントリーシート講習会」なんて大義名分があったのだが、そんなものあっさりと吹っ飛ぶに決まっている。
4時半ごろ集まったので、学校指定の履歴書配って書いてもらったのだが、碌な講評もしないうちに鍋になだれ込んだ。

ちゃんこ鍋の出汁で作った水炊きをつつきながら、呑む。
しかしみんな、酔うとよく喋るわ。
途中まではステキな鍋パーティーだったのに。
サークル1美人との評判も誉れ高い彼女を持つ男はみんなのツッコミに全部乗ってさんざ惚気るわ、とある女は自分の過去と家族の過去、未来を話しながら号泣するわ。
数人でなだめ励まし数時間。
小田和正のライブがはじまるころにやっと落ち着いた。

夜中になったらなったで、「気持ちわりぃ……」と言いながら午前2時に近くを徘徊しに行く男はいるし、部屋の中は宗教のヤバさと体験談をネタに盛り上がるし。
この時点で残り4名。
うちにみんな泊まっていった。
布団が2組しかないので、女2人がベッド、男2人がベッドの下で布団を敷いて横になる。
が、夜中だからかシモネタ、変態ネタが尽きることなく出てくる。
僕もそれに乗って喋っていたら、「ぼの(仮名)さんの口からそんな言葉が出てくるなんて……」と驚かれたが、僕、シモネタ平気ですよ。

結局4時くらいまで騒いだのかな……。

12月25日の日記

2004年12月24日
 
 
 
 
 
 
 
メリークリスマス。
 
 
 
 
 
 
 
今度、うちで鍋をすることになった。
しかし、とても人様をあげることができない散らかり具合。
掃除機をかけるスペースを作らなければならない状況だ。
どうせ大掃除シーズンだし、引越しのために片付けも始めなければならないので丁度良い。

ゴミ袋片手にせっせと分別していたら、袋にまとめていた昔の写真とプリクラが出てきた。
最も古いのでは、僕が高1の時に撮ったプリクラ。
6年前、16歳である。
なんとなくため息を吐く。
3年前に撮った、女友達を脅迫できそうなプリクラを、正月にやる高校の同窓会に持っていってやろうとほくそ笑む。

現像時にもらえるミニカタログで整理していると、昔の友達らの写真を見つけた。
僕がはまりまくっていた、大黒摩季関係の友達。
高1の頃からチャットをしていた僕は交流も広げ、東京に出てきたのを期にライブやオフ会にも顔を出していた。
今となっては自分でも信じられないが、北海道に飛んだりまでしていた……。

しかし、2002年頃には熱も冷めはじめ、忙しさもあってチャットにもあまり顔を出さなくなる。
だから新参者にも馴染まなくなり、昔からのメンバーと価値観の相違も感じ始め、僕から疎遠になった。

そのくせ、もう彼らとも会うことはないんだろうな、なんて思うとふと淋しくなった。

せめて1ヶ月前。

2004年12月22日 日常
「中学の同窓会やります。1月2日」という葉書が実家に舞い込んだらしい。

もっと早く連絡よこさんかい!!

2日は高校の部活の新年会なので行けないのだが、2次会でもあればそれから参加しようかなー。
でも、僕の友達はみな見事に不参加らしいなー……。

学習能力。

2004年12月20日 日常
バイトのため、朝7時に家を出る。
1時間残業して、18時までバイト。
それからゼミの忘年会に出席して飲み食いし、22時ごろ、明日までのレポートしなきゃなー、とほろ酔いながら少し重い気分で帰宅。

15時間もエアコンつけっぱなしだった自分死ね!もう1度死ね!!

謝恩会。

2004年12月18日 就職・転職
就職講座の祝賀・謝恩会。
これで、この講座を卒業することになる。
後輩達のコリエやマツケンサンバの余興を楽しみながら歓談。

講師・後輩に向けてのフリートー30秒。
「これが最後のフリートークになります」ってそんなのいらんわい。
とにかく人前で喋るのが苦手な僕は、順番が回ってくるとやはり頭が真っ白に。
しどろもどろで、言いたいことの半分しか言えなかった。
ので、ここでもう一度。

今まで21年と5ヶ月生きてきたが、就職活動中ほどプライドを傷つけられた時はありませんでした。
人前で喋るのが苦手な僕は、自分でも呆れるほど1次面接で落ち続けました。
その数、23連敗。
けれど、講師、OBの方々、そして16期のみんなが力を貸してくれたから、僕は来年から本当に「行きたい!」と思った会社で働くことが出来ます。
だから、皆さんも仲間を大切にして、自分がやりたい仕事のために尽力していただきたいと思います。
本当にありがとうございました。

と。
これで僕の就活は〆。
これからは、後輩のために出来ることをしてあげたいと思う。

終了後も会場の高輪プリンスのロビーで、みんなで写真撮りまくり。
講師にもちゃんと挨拶して、握手していただく。
「さっきのフリートーク、良かったよ」と言ってくださった。

それから繰り出した2次会は見事にシモネタばかりで、生まれて初めて
「あんたの精子なんて私の子宮に入れさせないよ!」と叫ばれた。
オールの3次会では、自分でも理解不能な暴言を吐いてしまったり1人のんびり呑んだり笑われたり。
きっと、きっと全部良い思い出に、なる……きっと……。
そろそろ家探し始めなければなー、ということを後輩に漏らしてみた。
この後輩は高校の部活の後輩。
大学は東京に出てきて、一緒には滅多に遊びに行かないものの、母校の演奏会ではよく話し、長電話もする仲だ。
いや、むしろ嫌でも長電話になる。
この前もちょっとした用事でかけただけなのに、就職相談の後、なぜか後輩が受けた一般常識テストを僕が受けることになり、気づいたら充電が切れてしまった。

で、後輩に漏らしてみたら、
「私の親戚が不動産やってるんですけど、聞いてみましょうか?私もそろそろ会いに行かなきゃならないんです。」
とのこと。
願ったり叶ったり、と思ってお願いした。
すると電話がかかってきて
「ヒルトンホテル東京でランチを食べることになりました。先輩もどうぞとのことです。」

……マジですか?

生まれて初めて入るヒルトン。
僕は午後の用事のためにスーツ姿だったのだが、逆に良かったかもしれない。

ヒルトン内のレストランに案内され、勧められてこともあろうに上座に陣取ってしまう。
初めてお会いする後輩の親戚ご夫婦に緊張しつつ、食事。
なんせ、某区の区議会議員さんだ。
テーブルマナーも自信はないが、基本は押さえているつもりだ。

※パンは食べ放題。バターロールとガーリックトースト。ガーリックトーストが香ばしくて美味。

前菜:ホタテのソテー
カレーソースがとても不思議な味。ホタテ好きの僕にはたまらない。

スープ:ブロッコリーのポタージュ。
ミキサーにかけてあり、しっかりした味でとてもまろやか。あのつぶつぶの感触が好きなので、それを味わえなかったのは残念だけど。

メイン:鱸のロースト
美味いぃぃぃ鱸なんて滅多に食えねぇぇぇ。
バターの風味がぴったり合って、上にかかってるクランチも香ばしい風味を出す。
そして、添えてあったアスパラガス。何でお前そんなに美味いんだ。

デザート:ブルーベリーのチーズケーキ
ブルーベリーってこんなに美味いものだったんだ……。
チーズケーキは相当なボリュームがあり、先にたらふく食っていたために少し重くも感じたが、これにコーヒーが合う合う。
口の中の甘みをさらっと取り除いてくれて、いくらでも入りそうな感じだった。

議員である旦那さんは用事のためここで別の場所に。
僕と後輩と奥様で僕にとってのメイン、不動産探しに向かう。
某区の、奥様の息子さんが跡を継いだ不動産屋に僕を残し、奥様はご自宅に、後輩は議員事務所に遊びに行った。

勤務地や条件を伝えての部屋探し。
とても親身になってくださっていくつも物件を出してくださった。
やはり、後輩の紹介というのはかなり大きいらしい。
(途中何度も、○○ちゃんの紹介ですから〜」と言われた。
結局、いい物件は出てきたらすぐ埋まるし、引越しまでまだ時間があることから、後日、僕が引越しを考えている時期の少し前に、僕の条件にあった部屋をピックアップしてお電話をいただけることに。
よろしくお願いします。

後輩と合流して奥様のいる家に向かうと、とても立派なお屋敷だった。
入るとお手伝いさん?が迎えてくださりさらに驚く。
掘りごたつに入って、何と言うことはない雑談に花を咲かせる。
このときいただいた蜜柑が、何やら金時蜜柑というものらしい。
普通の蜜柑と比べてとにかく赤く、大きいのだ。
金時人参(京人参)を思い浮かべていただくとわかりやすい(あっちは小さいが)
皮を剥いて食べてみると、凄く甘くて果汁が多くて美味しい。
一般には出回らず、農家の方が一部だけに分けているものだとか。
市場に回れば、絶対に高く売れるのに。

1時間半ほどお邪魔して、僕は用事のためにお暇した。
不動産では、またお世話になります。
さまざまな事情により、パスポートを取得しなければならなくなった。

パスポートは、過去にも一度作ったことがある。
僕が中2の時に、兄がアメリカに留学することになったので、家族全員分ついでに申請したのだ。
結局、兄以外は今まで使ったことがなく、僕は未成年だったので5年期限のものしか作れなくて、19のときに失効していた。

本籍地のあるところでないと取得できないと思っていたら、資料さえそろえれば、現居住地のパスポートセンターで発行できるとのこと。
早速実家から戸籍謄本や過去のパスポートを送ってもらう。

あー、そういえばこんなの作ったなー、と思いながらパラパラめくって、写真を見て卒倒しかけた。

誰やお前。

14歳のころの僕は、今より背が6センチほど低く、12キロほど重い。
年中メガネを愛用し、髪型はかなり短いスポーツ刈り。
今とは似つかない(と思いたい)容貌である。

一刻も早く新しいものを取得して、これを処分してもらいたい、と思った。
バイトに行ったのが朝7時。
バイト後、ふらふらと歩き回って、帰ってきたのが22時。

エアコンつけっぱなしで朝出かけた自分死ね!マジで死ね!!

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