行ってきます。

2002年2月15日
これから実家に帰省します。
実家にもPCとネット環境はあったのですが、
先日実家PCを起動したところ大音量でバキバキバキ!と
言った末に起動できなくなったそうで。
現在新しいPCの購入を検討中だそう。

そのために、しばらく日記が更新できなくなります。
ご了承ください。
ネット環境が整い次第、更新を再開します。
それまではルーズリーフとかにメモ残しておこう。

ではでは。
明日から帰省するために、切符を買いに行く。
新横浜からでも乗り換え地点の岡山まで
4時間前後かかるので、もし自由席が空いていなかった場合
ずっと通路に座り込んでやさぐれることになる。

無事指定席を確保し、今日はこれからチュニジア料理店のハンニバルにお土産としてクスクスを
もらって帰る約束をしていたので、それ用の
タッパーを買いにダイソーへ。
行くと、大学で見たことのある人がいた。
目が合ったときにむこうも「ん?」という顔をしたが
話したことがあるわけでもないどころか名前も知らないので
会釈もすることなく目をそらしてしまった。
「微妙に知っている人」に「いつもと違うところで会う」
というのはなんとなく気まずいものである。

その帰りにゲーセンを見つけ、太鼓の達人を
見つけてしまったのでふらふらと入っていく。
…が、難しいの1曲目で調子が狂ってしまい
ぎりぎりでクリアならず。切なすぎ。

7時ごろにハンニバルへ。
お客は他に1組。優しく迎えてくださった。
「こんな日に1人でここ来てていいの?」と
いきなりキツイ言葉を浴びせられたがめげてられない。
初めてコースでなくアラカルトを頼んで
普段食べない料理をいろいろ珍しそうに食べる。
カムニア(牛の第2胃であるハチノスの煮込み)
を楽しみにしていたのだが、この日は狂牛病の
煽りをモロに食らったためセンマイ(牛の第3胃)の煮込み。
十分おいしいです。はまりそう。

しばらくすると年末に知り合って以来お会いしていなかった
方がやってきて、談笑する。
シェフのモンデールさんがその方に、
「バレンタインには女の子がパンツ買う習慣があるんだ!
 妹さんに確認取ってきてよ!            」
と詰め寄っていたがそんな習慣聞いたことない。
チュニジアの新規格だろうか…イスラム国なのに。

クスクスのスムールとソースを受け取り、
家での温め方講座を受けてハンニバルを出たのは
22時過ぎ。ここに来るとなぜか3時間余裕で過ぎる。

家に帰ってきてPCをつなぎ、普段通ってるチャットを
覗いてみると、戦争が起こっていた。
この前のライブでの、ある人のマナーの悪さについて
我慢ならなくなった数名が別のチャットで
話していたその人に直判談に行ったのだ。
両者とも売り言葉に買い言葉。最後には双方落ち着いて
終戦を迎えたのだが、そのころには深夜3時過ぎになっていた。
ライブ中にタンバリン鳴らして前から3列目で
厚底ブーツの上に踏み台持参で乗っていただと…。
よく自分は悪くないと言えるな。
僕はそのことを今日知ったし、当事者じゃなかったので何も言う資格はなかったけど。

この影響でPCから離れられなかった僕は
荷造りが2割も終わらなかった。
明日早起き。ふう。
サークルの締めで学校へ。
最近の寒さがとっても身にしみる。

最後なので楽器は吹かずミーティング。
来期の予定や新入生勧誘用のポスターやビラの担当を
決めたり、飲み会の予定を立てたりした。
やはり誰もポスター等は描きたくないようで、
結果、じゃんけんという古典的ながらも恨みを買わない方法。
僕はじゃんけんは弱いほうなのだが今回は一抜け。
良かった…中学の美術2なんだよ。。

帰ってきてから、近所の古本屋にぶらつきに行く。
その道中の路地裏にあるマンションゴミ捨て場で見た張り紙。

「ここにゴミを捨てる他所の人へ
 頼むから缶とビンを分別してくださいね」

他所のゴミなら「捨てるな!」と一喝するのが
普通と思われるところで心優しい管理人さん。
その心優しさゆえの苦労が偲ばれる。

古本屋で探していた高橋しんさんの短編集を見つける。
やっぱこの人の本は大好きだ。

17時ごろからひどい眠気に襲われたので、
19時半にタイマーをかけるがこの僕が起きるわけ(以下略)
目覚めると21時。
もそもそと起き上がり夕飯を食べるが、それから
今も現在進行形で腹痛が治らない。
3〜4年に1度くらい襲ってくる嫌な痛みである。
たいてい一晩寝れば治るのだが…。
治らなければ困る。15日から実家に帰省するので
明日は大掃除と荷造りをしなければならないのだ。

自然治癒を祈る。
朝起きると咳や喉の痛みがけっこう収まっていた。
さすがコンタック。あの粒々は伊達じゃない。

今日はフリスクさん(お気に入り参照)と
「ミャンマー料理を食べに行く」と
「ある歌詞がものすごい曲を聞かせてもらう」という
話で会うことになっていたので、いそいそと準備し
高田馬場へ。
新宿で山手線に乗り換えると、アナウンス
「現在、目白池袋で踏み切りに人が立ち入っておりまして、
高田馬場で運転を見合わせております…     」
踏み切り内に人が入って動かなかったのだろうか。
落し物でもしたのかな…線路の間に。
すぐに復旧したらしいからよかった。

集合時間ギリギリで高田馬場に。
合流して今日目指す店はミャンマー料理店「ノイングンレイ」
着いた店は手狭ながらも、なんだか日本とは違う
雰囲気を醸し出していた。
メニューがまったく読めない。
客も我々以外は全員異邦人だった。

どれが美味しいかわかるわけもないので
ランチセット800円。
漬物、揚げ豆腐、麺(汁あり)、ごはんの4品が出た。

ミャンマー料理は一様に辛い。
揚げ豆腐につけるソースも、麺の汁も赤めで
唐辛子がよく効いていた。
揚げ豆腐は豆腐が甘めなのでぴったりと言えばぴったり。
麺は細めでなんだか平べったかった。辛いけどおいしい。

テーブルに置かれていた唐辛子の粉の塊。
フリスクさんが食べてみて「そう辛くないよ」と言うので
少しご飯に乗せてみると後から「ごめん、嘘」という
言葉が聞こえてきた。
ほんの微量乗せたご飯を口にすると…別の意味で
ご飯が非常に進んだ。飯1膳楽勝で食える。

しかしフリスクさんは辛いものが非常に得意らしい。
他に青唐辛子と赤唐辛子の輪切りもテーブルに置いていたのだが、
それも平然と食べていた。すごい…。
かなり辛いもの好きのご友人に合わせていたら
舌が慣れてしまったそう。

場所を移して今日のメインのはずの曲を聞かせてもらう。
タイトルが「不幸子(ふさちこ)」なので
これだけでも十分にインパクトはあるのだが、
歌詞を少し書くと、

「無言電話が1日5万回」
「ベッドに入ると隣に落武者」
「写真を撮ると幾千の手が首を締め付ける」

…テレビに出なさい。不幸子。
アンビリーバボーでもUSOジャパンでも引っ張りダコだ。

もう1曲。「戦えジューシー7のテーマ」
タイトルだけ聞くとなんだか肉汁でも滴りそうな感じだか、
この曲も内容は変としか言いようがない。
1番と2番でジューシー7の肩書きが変わる上に、
肩書きが非常に長くヒーローの正式名称も掴めない。
本当に構成人数は7人なのかも訝しい。
肩書きがツッコミどころ満載なのだが、
長すぎてとてもじゃないが覚え切れなかった。
次はメモとペンで臨戦態勢で望むべきか。

感想。「こんな詩を書けるのも才能だ」
確かに笑い転げてしまった。

その後、ブックオフを経てまんがの森へ。
ここで「あずまんが大王」を立ち読みしていたら、
一気にその世界にはまり込んでしまい出ていた
3冊全てを一気読みしてしまった。
所要時間は1時間ほど。4コママンガなので。
立ち読みなんてしたのいつぶりだろう…。

フリスクさんと別れて中央線で帰る。
夕方4時ごろでも平日の電車はいっぱいいっぱい。
満員電車にはいつまでも慣れそうにないな。

小田原で遊ぶ会。

2002年2月11日
今日は友人Hと気が向いたら開いている
「小田原で遊ぶ会」の日。
もともとこの場所は友人Hの家と僕の家のだいたい中間、と
言うことで決めただけだったのだが、
行ってみると我々のツボに入りまくる街だったので
この会を定例にすることにし、過去3回開かれている。
今日はHの試験の息抜きと言う名目で開催。

11時に小田原に着くには、最低でも9:05発の電車に
乗らなくてはならない。
そんな境遇に置かれている僕が目覚めたのは8:43。
昨日の疲労と酒…。
飛び起きて準備するが昨日金は使い果たした。
郵便局に行って金を下ろしているうちに時間は9:20。
「30分ほど遅れます」とメール。

相模線、東海道線を乗り継いで小田原へ。
相模線の車中で、イルカのように笑う男子高校生が
いたのには驚いた。

前回は12/1だったので、Hとは2ヶ月ぶり。
普段は他にゲストを招いたりもするのだが、今回はみな
都合が悪く2人オフ会。

小田原に来たとき、必ずすること。

・バーミヤンでご飯を食べる(昼・夜は問わない)
・ドトールでチーズケーキを食べる
・プリクラを撮影
・ボウリング

時間があれば、別スポットを発掘するために歩き回る。

今回は昼がバーミヤン。
バーミヤンマニアのHはいつも割引券を持っているので
非常に助かる。
この会は日ごろの不満を発散させる目的もあるので
食事中に近況報告しながら困った知人のことを愚痴ったり。
今日は名古屋でライブのある日なので、
そのことを羨んだりもした。

腹が膨れればボウリング。
普段いつも使っていたボウリング場もあるのだが、
そこは僕はかなり相性が悪く、普段なら100〜130くらい
普通なのに、ここでは100も越せないので少し遠くの
ボウリング場に向かう。
以前彷徨ったときに見つけたところ。確かこの辺、
と目星をつけて歩き出す。

…20分後、まだたどり着けない2人がいた。
おかしいなぁ、と思いつつもたどり着けない事実は
変わらないので、歩いてきたおばさんに道を尋ねると、

「この道をまっすぐ行って、2つ向こうの信号を右です。」

嗚呼、方向音痴二人組。

この間に目にとまったもの。

・「そみそビル」という謎な名のビル
・「ユニバーサルビル」というかなり大規模な名前のビル
・何を食べられるのだろう、「トン料理 パンチ」

今日行ったボウリング場はお互い絶好調。
Hは過去2位のスコアを出し、僕も普段ならだんだん
調子が落ちていくのにここでは調子維持できた。
次からのボウリングはここに決定。

次はドトール。いつも通りのコース。
普段食べてるベイクドチーズケーキがなくなっていたので
初めて見る「ニューヨークチーズケーキ」。
味は…チーズが濃くてくどかったのが正直な感想。

ここでは名前のトーク。
自分の名前の由来やHNについていろいろ話し、
「お互いに華族みたいな名前をつけると」という会話に。
お互いふざけあった結果、H(女性)は「綾小路菫子」
僕には「神宮寺是清」という名がつけられたが
このHNを使う日は来るのか。

出ると、雨が降っていた。
昨日の洗濯物、干しっぱなしで来たのに…。
プリクラも撮り、街をぶらぶらして夕飯。
白木屋と魚民が同じ階にあるビルに行き、どっちに入るか
決めるためにとりあえずメニューを見よう、と
白木屋に近付いていくと中から店員さんが出てきて
「いらっしゃいませー何名様ですか!?」
もう店の選択権はなくなりました。

飲んで鍋食べてまたいろいろとしゃべる。
サークルの話とかバーミヤンでの話を蒸し返し。
次の小田原で遊ぶ会は4月にしよう、とも。

駅で解散。またやろーなー、といいつつ。
ギリギリで急行を逃し、鈍行に揺られながら
本読んだりメール打ったりしながら帰宅。
今、咳がひどいので風邪薬飲んで寝よう。

洗濯物は乾いてました。
今日は地域の吹奏楽団が集まって数曲披露し合う
吹奏楽祭があって、僕も楽団として参加。
先週のミーティングでペンが手元になかったので
メモを取らなかったら会場を失念してしまい、
慌ててネット検索。
筆記用具は大事だな…。

朝起きて溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込んで
まわしだしてからカーテンを開けたら雲行き最悪。
昨日の天気予報は晴れのち曇りだったのに。
窓開けたら寒風が吹き込んでくる。
けどまわしたものは仕方ない。干す。
少し寝坊したのもあり、バタバタと準備して
家を出て、すと空を見上げると

「あ、雪だ…」

洗濯物を取り込んで家の中に干す時間は無い。場所も無い。
何しろ今日はタオルケットまで洗ってしまったのだ。
数秒考えて出した結論。
「すぐにやむだろう。」
あぁ、考えなし。

最寄り駅に到着し、駅を出ると同じ楽団の先輩方に出会い、
合流して一緒に会場まで向かう。
その間に雪は一層強くなってきた。
小粒ではあるが洗濯物への影響は心配だ。

会場に着いて、着替え…るが、
やはり蝶ネクタイは苦手だ。
鏡とかで見てみても、まだ板に着かない背広にネクタイ、
衣装に着られてしまっている感じがする。

で、肝心の演奏なんだが、控え室が騒音厳禁だったので
十分な音出しやリハーサルができず、
高音がなかなか出ずに同じパートの先輩にまかせっきりの
ようになってしまい、焦ってミスを連発、
自分で自分に腹が立つ結果になってしまった。
終わったこととは言え、凹む。

その後、他の団体の演奏を聞いてミーティング、解散。
先輩方がカラオケに行くというのでついて行く。
思い楽器に苦労しながら徒歩20分ほど。やっと到着。
2時間、12人。すごい話だ。

カラオケで感じたことだが、吹奏楽のキャリアの長い人は
歌も上手い、というのは気のせいだろうか。
音を耳で取るのも慣れているし、腹筋や腹式呼吸は
基本だから、声を出すのも上手だし高音がよく出る人も多い。
こんなメンバーの中で思いっきりしり込み。
しかし酒が入れば気も大きくなるのか、
しっかり2曲歌った。

2時間はあっという間。ここで5人が帰るので一旦精算。
けっこう飲み食いしたので割り勘でもかなりしたのだが、
社会人の方々の好意で学生陣はかなり安く上げさせてくれた。
ありがとうございます。

「あと3300円しかないんですが…」と言うと
「大丈夫」と言うので僕は居残り。
残った7人で部屋を移って2次会。全員男性。
「一気にむさくるしくなったなー」という先輩の声は
聞かなかったことにしてまたカラオケ。

酒の入った男性陣、てこんなもんですよね。
始めは普通だったのにだんだんテンションが壊れてきて
最後のほうは絶叫大会。
爆風スランプなんてものすごい勢いが狭い部屋に渦巻く。
五月蝿いのがそう得意ではないし、疲労も手伝って
頭痛が起こり出す。
ラストは全員で「YAH!YAH!YAH!」(CHAGE&ASKA)
もう自棄。
同じ阿呆なら踊らにゃソン。楽しいし。

たっぷり騒いで精算。割り勘すると1人3500円とか。
足りないではないか。
そのことを告げると、「じゃ、3000でいいよ。」
ありがとうございます…と思いつつも、
「大丈夫じゃないよ…」という思いも沸々と。

家に帰るともう風呂に入るだけで限界。
次の日も8時起きなんでベッドに倒れこんだ。

もちろん、洗濯物は乾いてなかった。



懐古。

2002年2月9日
以前探している、と書いた野田秀樹の
「僕が20世紀と暮していた頃」(中央公論社)
ぷこさん(お気に入り参照)に教えていただいた
「インターネット古書店案内」で見つかり、
手に入れることが出来た。

2036年、80歳になった野田秀樹氏が、
12歳と10歳になる孫たちに20世紀にあって
21世紀には姿を消してしまったものを
語るという形で話は進んでいく。
「牛乳瓶」「そろばん」「ダイヤル」など、
物質的なものから、
「道バタ」「おさがり」など
状況的なもの、とテーマは様々。

読んでいるだけでなんだか懐かしくなってくる本。
この本で紹介されているものは
全て姿を消したわけではないのに、
いつの間にか接する機会がほとんどなくなってしまった。

「道バタ」なんてどこにでもあるはずなのに。
小学校の頃は徒歩通学なので、ゆっくり
下校班みんなで帰りながら、「道バタ」の
ネコジャラシを抜いたり、田圃の脇に座り込んで
カブトエビを見つけたりしたものだった。
中学になって自転車通学になったとたん、
目にも入れなくなってしまった気がする。

ビックリマンチョコが28円だった。
缶ジュースも100円で買えた。
テレビゲームと言えばファミコンだった。
僕の小さい頃。
あの時代は、どこへ。

もう小学校から昭和生まれの児童が消えてしまった。
まだ20世紀生まれの児童が消えるには時間があるけど、
そういうことになる日が来るのはわかりきったことなのに
微妙に信じられない。

僕も将来子供を持った時に、
この本のように、子供たちが触れることができなかった
20世紀についていろいろ語ったりするのだろうか。
20世紀を語る、という言葉がおこがましく聞こえるほど
生きた期間は短いのだけれど。

「昔は車ってガソリンってもので動いてたんだぞ。
 それを燃やしてたから、煙がもうもうと出ててな…」

「お父さんが小さい頃はな。レコードっていう
 CDよりずっと大きいもので音楽聴いてたんだ。
 これも小学校に入る頃にはあまり見なくなってなぁ…」

今日は大黒摩季のライブの東京公演に行ってきました。
数人のメンバーで前オフが行われ、僕も誘われたんだけど
用事があったために断念。
あとで話を聞いてみると焼肉の食べ放題で昼ごはんを
食べたあとに上野動物園に行ってきたらしい。
悔しい…。

用事を15時半ごろに消化して、
会場の東京国際フォーラムに向かう。
最寄り駅は有楽町。だから遠いっちゅーに。
まぁ、自宅から大学には近いのだから仕方あるまい。

電車に揺られて有楽町に到着。
国際フォーラムはパシフィコ横浜と違って駅前なので楽だ。
会場のホールAに向かう途中で本屋があったので
ついつい入って帰りの電車用の本を買ってしまう。
17時半くらいに着いたが、まだ知り合いはほとんど
来ていなく、所在無く立っていたら友達夫婦に遭遇。
「久しぶりー!」と言い合いながら喋っていると
どんどん知り合いが到着し、合流。
30分後には輪が膨れ上がっていた。
まるで同窓会。

時間も近付いてきたので、入場。
横浜の隣の席は知らない人だったのだが、
今回の隣の席は気のおけない友人なので
喋っているうちにテンションが上がってくる。
彼の服から焼肉の匂いが漂ってきていたのには
ちょっと参ったが。やっぱ悔しい…。

ライブが始まれば、後は楽しむだけ。
今日は友人が隣の分だけ、1.2倍くらいで騒いできました。
途中、バラードが4曲続くところがあったんだけど、
ふと横を見ると、友人が寝ていた。
バラードが終わって、次の曲が半分くらい歌われた
ところで起きだし、慌てて立ち上がっていた。

ライブ後もまた、知り合いたちとまた喋り、
解散。6人で夕飯を食べに行く。
金曜の居酒屋は混んでいるものであり、結局
駅近くのビルにあるイタリアンレストランに。
味は良かったのだが、如何せん値段に難あり…。

神田まで出て中央線に乗り換え。
新宿から始発の中央特快に乗り換え可能だったのだが、
おそらく押し寿司状態になるだろう電車に乗るくらいなら
座ってゆっくり帰ったほうがマシだと思い、
そのまま乗り換え無しで帰る。
途中駅で停車したときに、ドアが開いたと同時に
駅員が、酔いつぶれたのか目を閉じて動かない会社員を
「はい、ここ乗ってね」と連れてきた。
そして座席に座らせた後、「荷物、ここ置いとくよ」
と言って会社員の上にコートとカバンを放り投げるのを目撃。
駅で寝てしまった場合、こういう仕打ちを受けるのか…。
駅では意識を保つように努力しようと決意した次第。

その会社員の顛末は知らない。
以前作った「あいのり」の看板。(1月29日の日記参照)
結局羞恥心に負けて日の目を見なかったわけで、
このまま捨てるのも何だかもったいないおばけが
出てきそうだし、注意して捨てないとあんな看板
捨ててるのを見られたら恥ずかしい上に
変な目で近隣住民に見られそうである。

そういうわけで、最近、枕の下に敷いて寝ているのだが、
それ以来変な夢ばかり見るようになってしまった。

例えば、僕の実家の空き部屋に7人家族(母子家庭)
が住み込んでいたり。
そう広くない和室なのだが、割烹着の疲れた表情の母親に
子供が6人、しかも揃いも揃って未就学児と思われる
容姿の子供たちである。
何故かコンロまで備え付けられていた。

他にも、高校の先輩や同期と温泉?に行こう!と
張り切ってバスで行ったのだが、着いたとたんに
先輩たちが小学校のクラスメートや中学の友人に
早変わり(本当にごちゃまぜ)
ま、それはいいとして、風呂の引き戸を開けると
そこには25メートルの温水プールのパノラマが
広がったり、薄汚いビーカーがあって、
「コンタクトレンズはここに入れてください」と
書いていたり。

…夢から醒めた直後は呆れたり笑ったりしたのに、
今ひとつ伝えにくいな。

夢の不思議なところは、醒めるまではその状況に
何の疑問ももたないところだろう。
たまに「あ、これは夢だな」と考える夢も見るのだが。
___________________________
Q.「でも夢ってへんだよね どうしてへんなのかなぁ。」(ぼのぼの)

A.「そりゃ変じゃないとこまるからさ。
   面白くもなんともないと夢なのか現実なのか
   わかんなくなるだろ?」(アライグマくん)

A.「変なほうが楽しいじゃないか。
   楽しいとみんなちゃんと寝るだろ?」(スナドリネコさん)

A.「もともとみんな変だからさ。」(スナドリネコさん)
         
            (ぼのぼの15巻より)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どの答えも的を得ているような気がする。


今日の夕飯は親子丼にしよう、と思いスタンバイ。
面倒だったので具は大好物の玉ねぎと鶏肉に止め、
玉ねぎを細切りにする。
しかし、「玉ねぎだけだから…」と思って
半個分も細切りにしてしまい、親子鍋から
あふれんばかりになってしまったので
細切りの半分をラップで包んで冷蔵庫に。

親子鍋にダシを張る。
しかし、みりんを目分量で入れたら入れすぎたらしく
異様に甘くなってしまったので食べるときに
七味をかけて調整しようと考える。

ダシで玉ねぎを煮て、鶏肉を投入。
しかし、親子鍋にダシをなみなみと張っていたために
鶏肉を投入するとダシが溢れてしまいそうになる。
だから少しダシを減らそうと親子鍋を電気コンロから
降ろすと、ダシがこぼれて轟音に煙の2コンボに。
なんとか場を収拾して、コンロに鍋を置いて
10分くらいほっといて煮込む。
時間経過後、様子を見に行くとコンロの電源が
入ってなくて力なく肩を落とした。

煮込んでから卵を落とし、卵が底に焦げ付かないように
鍋をゆすっていると、またダシがこぼれて爆音が鳴り響く。
もうほっといてコンロの上で卵がすさまじい勢いで
炭化していくのを横目で見ながら、ご飯に
鍋の中身を落とす。
味は食べれないこともないからいいけどさ。
やっぱ甘かった。。

あまりに眠かったので9時過ぎに仮眠のつもりで
10時に目覚ましをかけて眠りに入る。
僕が起きなかったのは言うまでもなく、0時に起床。
洗面所で顔を洗おうと、鏡の出っ張りにメガネを引っ掛けて
ざばざば洗っていたら、いきなりメガネが風呂桶に
ダイブして、夜中だというのに「カコーン!」と
けたたましい音を鳴り響かせる。
勘弁してくれぇぇぇ。
今日は友達Y、Bと遊ぼうと言うことでレッツゴウ。
今日の集合場所は上野。
何故か遊ぶことになる場所は押しなべて僕の家から遠いのだ。

中央線でまず神田に向かうも、中央特快に乗り遅れ、
次の快速で行ったものだから集合時間に間に合わなく
なってしまった。
しかも電車の中で読んでいた本に熱中してしまい、
神田で降りるはずが東京まで行ってしまう。
東京駅の乗り換えはめんどくさい。。

今回のコースは
ゲーセン→夕飯→Yの家でゆったりと。
ゲーセンと言えば、僕は単純な音ゲーが好きなので、
店に入ると同時に「太鼓の達人」にまっしぐら。
まずは普通モード。。ということで2曲ほど。
一曲目はオールコンボを出せ、2曲目もほとんど成功。
調子に乗って「難しい」に挑戦。
「ultra soul」はぎりぎりクリアできたものの、
「恋愛レボリューション21」はゲーム中に
バチが手からすっぽ抜けてふっ飛ばす、という
いらないパフォーマンスまで演じる。当然失敗。
もっとスキルを積まねば。

他、「TYPING OF THE DEAD」をする。
3面のクイズを出してくるボスが好きだ。
1度やられてコンティニューしたのだが、そうなると
つい意地になってしまい、結局友人とあわせて
800円くらいつぎ込んでクリアした。
執念って素晴らしい。

友人らが「スリルドライブ」で大惨事や重大事故を
次々引き起こすのを見、ゲーセンから退散。
DDR出来なかったのが心残りか。

夕飯は上野駅前の「asian kitchen」に。
東南アジア料理を中心にしたレストラン。
昨日会議していて、夕飯にこの店を提案したときに
Bに「やっぱり珍しいもの食べたいの?」と
聞かれたりしたが、普段あんまり外食しないもので、
どうせ食べるなら滅多に食べないものを口にしたいのだ。

店の雰囲気はかなり好きな感じ。広いが落ち着いた雰囲気。
BGMには中島みゆきの「空と君とのあいだに」を
カバーしたものや、ブラックビスケッツの「スタミナ」
などがかかっていた。前者はどこの国のシンガー
だったのだろう。

まずは「ラッシー」(インドなどのヨーグルトドリンク)で
喉の渇きを潤し。甘すぎなくて飲みやすい。
料理で頼んだのは「ナシゴレン」(インドネシアの炒飯)や
「エイひれの唐揚げ」「タイ風焼きビーフン」など。
エイの軟骨がとても不思議な感触で良い。
多少においに癖のある料理もあるが、味はなかなか
良いと思った。
ただ、料理の名前は「〜〜風○○」とかじゃなくて、
全部正式名称で書いてほしかったな、と思う。

そしてYの家に移動して酒飲み開始。
と言っても僕は明日も用事があるのでサワー1本に止める。
おつまみを食べながら今日の裏メーンイベントの
「いただきストリート」開始。
Bはやったことがなかったが説明書を渡して
ルールを飲み込んでもらいながら始める。
僕はYの独占したエリアの、まだ増資されてなかった
店を5倍買いしたり、Yが大量に株を買い込んでいた
エリアの株を多少買い、10株ずつ売って株を
暴落させたりして
「酷すぎる…」と言われつつも「戦略だ」と言い返し
進めていったが、結局サイコロ運に恵まれずYが優勝。
リベンジは必ず果たす。

他にもゲームしながら語り、気付くともう11時半。
終電の関係で御徒町に向かう。
僕は中央線でまず神田に向かうのだがBは赤羽方面に向かうので
駅で「おつかれー」と言って解散、Bが
反対側のホームの階段を上っていくのを見届けてから
ホームに上がった。

そして山手線で神田に着き、
中央線のホームに上がったところでふと振り向くと
山手線池袋方面行きのホームにBがいるのを見つけて
びっくりした。
電話で確認を取ると確かにBで、
「電車で寝てて気付いたら神田にいた」
と言う。
しかし、確実に反対側ホームに上って行ったはずなのに
どうやれば神田に着くことができるのだろう…。
彼は酔っていた。確かに酔っていた。しかし…謎だ。

終電間際の中央線。
少し大きな寝息を立てる女性。
傘を支柱にして前かがみで寝ようとするが
上手くいかないで眉をしかめる会社員。
ふらふらと千鳥足で隣の車両に移っていった男性。
楽しそうに喋る、遊んできた帰りだろうカップル。
すべてを乗せた電車の中で、行きと同じように
本をずっと読みながら帰ってきた。

きっと純粋/命題

2002年2月4日
疲れた。
とにかく疲れた。
悪気が無いのはわかってる。
その証拠にいろいろ楽しく話したし、
聞きたくなかった言葉は口から出てこなかったから。

家に帰って落ち着いて、ネットにつないでみたら、
見つけてしまったものがあって。
今、頭の中をぐるぐる。

ただ、これだけは、と思うこと。

道は、絶対、開けるから。



何だか最近、「究極超人あ〜る」(ゆうきまさみ、小学館)
のアニメビデオが見たくてたまらない。
もう発売されて10年になるのだが、何度もTUTAYAで借りて見たものだった。
だが、さすがに古いので、うちの近所のTUTAYAでは
もう発見できないだろう。小さな店舗なので。
友達が「去年、DVD版が発売された」と
教えてくれたのだが、生憎うちにはDVDの設備がない。
PS2、買い時だろうか。

もともとあ〜るにはまったきっかけは、兄がふらりと
マンガを買ってきたからだった。
ちょっと兄に借りて読んでみたところ、かなり心に
ヒットして残りの巻を見つけては買ってきたのだった。
僕には好きになったマンガや本のシリーズを、
衝動買いする性癖がある。
こうして、兄が買ってくるマンガでツボにはまった
やつを、兄が飽きても自分で買い集めていった。
こうして集めたマンガに「いいひと。」や
「DEAR BOYS」、小説では「ぼくらシリーズ」があるが、
何故小4の時点で「三国志 全60巻」を根気よく
集めたのだ自分。
出かけるたびに本屋に行っては1〜2冊必ず
買って帰っていたのだが、380円×60冊=22800円
を投げ打つ財力があったことに驚きだ。

この性癖、いまだに直らない。
好きなマンガがあるが買う金がない、という人は
僕に数冊貸してはまらせるのも手かもしれない。

地区名

2002年2月1日
自分の住んでいる地域に、地区名ってありましたか?
免許や戸籍で本籍を見ると、自分の住んでいる住所が
「○○市○○町×× △△ー△」
と、町名の後ろに地区名が入っていることがあると思います。
ちなみにうちは「下所」でした。
普段はこれを書かなくても町名に番地で郵便物は
届くので、あんまり意識しないものですが、
運動会の地区別対抗リレーとかで使われたりするので
覚えている人も多いと思います。

高校の時、部活後に雑談してて、
話が地区名の話題に移りました。

「うちは浜八番丁やなぁ。」
「うちは炭所。」
「うち、宇夫階って言うんですよー。
 (隣の女の子に向かって)あんたは?」
「あ、うち鋳物師屋(いもんじゃ)です。」

この日からこの子の渾名は「いも」になりました。

女の子の渾名に「いも」てどうなんでしょう。
当時16歳の、真面目で努力家の女の子だったんです。
学校で「いもー」と大声で呼ばれても笑顔で
受け止めて返事できる度量のある子で本当に
よかったと思う次第。
でっかい「カイアポイモ」という看板を見つけて、
周りから「いもーいもー」て言われても
一緒に笑ってふざけてましたからね。
そんないもちゃんも今年受験生。
がんばっているんでしょうか。

野田秀樹氏の「僕が二十世紀と暮していた頃」という本、
探しているんだけど見つからない…。
bk1のオンラインブックスで発注しても
「在庫切れ」と言われ、コンテンツ削除されたところ、
もう絶版なんでしょうか。
偶然見つかる日、来るのかなぁ。。


分量を考えよう。

2002年1月31日
今日は特に予定もなかったので、家でまったり。
でも本を読む気もあまりしなかったので、PSでも
引っ張り出してみたのだが、どうも最近調子が悪い。
7年目に入るとさすがにガタが来たか。
しかし借りたソフトはクリアせねば。もう1年借りてるし。

夕飯の買い物に普段行っているスーパーは肉を
量り売りしてくれるので大変便利なのだが、
僕が鶏肉を買いまくるせいだろうか、
昨年6月ではグラム68円だった唐揚げ用肉が
現在108円という異常高騰を見せている。
そこで胸肉に切り替えたのだが、これも
グラム48円から58円に値上がりしやがった。
他のスーパーのが安くなったら買いに行くのやめよっと。

そこの野菜売り場できょろきょろしていると
見つけたのが「おいしい菜」
お、おいしい菜?痛いなこのネーミング…と思い
検索してみると、

「ビタミン・ミネラルをたっぷり含んだ健康野菜。
カルシウムは牛乳の2倍も含んでいます。
シャキッとした歯ごたえとクセやアクが
ほとんどないのが特徴で、炒めものや鍋ものに最適。
おいしくて元気の出る野菜です。       」

どうやら「おいしい菜」というのは正式名称らしい。
もっと他に名前はなかったのか…。

今日の夕飯はポークビーンズを鶏肉に変えて
作ってみようと思ったのに、
小さい鍋しかないくせにシメジと舞茸を小さいながらも
1パック使ってしまったために鍋一杯になってしまい、
急遽普通のトマトスープに変更。
今までワイン入れたことなかったけど、今回白ワイン
注いでみたところ、すごい風味がよくなって驚く。
やはり調味料は惜しまないべきですね。

そういえば今日は死んだ友達の誕生日。
生きていたらあいつも19なのか…。
寝るときにいろいろ思い出しそう。
今日はDiary Noteのお食事会。
会場は新大久保のチュニジアレストランハンニバル。
メンバーはフリスクさん、kobaさん、さくさん
(共にお気に入り参照)
フリスクさんが日記で参加者を募っていたので
参加表明したところ、ハンニバル経験者だからか
いつの間にか副幹事扱いになっていました。

19時に集合だったけどちょっとHMVに行きたかったので渋谷へ。
はじめてHMVに行くときに、道がわからなくなって
道行く人に「すいません、HIVってどこですか?」
て聞きそうになったのは僕くらいでしょうか。

HMVで欲しかった吹奏楽のCD買って、
「栗コーダーカルテット」探したけど見つからず。
残念…。

さぁ、食事会です。
メンバーはフリスクさん以外の方は初対面。
そういうわけで、前日のメッセンジャー会議で
「何か目印いる?」と聞かれたので
「じゃ、『あいのり』と書いたダンボール持って
 立っていてもらえればすぐ見つかるかと   」
と発言すると、
「あれは新メンバーの証だからぼのくんに持って欲しい」
という発言が大量の支持を得てしまい、
それを作って持っていくことに…。

18:45ごろに新大久保到着。
とにかく、新大久保の駅前で『あいのり』なんて表示している
男がいれば、どんな目で見られるでしょうか。
というわけで始めは様子見。
そうしているとフリスクさんがやってきたので
無事合流。さっきから隣に立ってた方がkobaさんでした。
しかし、「新メンバーとして迎えられる」側の
オフ会なんて何年ぶりだろう。。。
普段の交友関係ではすっかり古株なもので。
緊張すると無口になり、しかし話を振られると
滑舌悪い早口トークかますこの口調は
どんな印象を与えたのでしょうか。

店に移動して、一応作っていった看板をお披露目してから、
チュニジアワインで乾杯。
始めに登場した「ブリック」というチュニジア風
春巻きには、中身に半熟卵が入ってるんですが、
この前横向きで食べると思いっきり中身がこぼれたので
その教訓を生かし、たて向きで食べると
強く手で押さえすぎたのか中身がまたどろっと。
ギャルソン
「チュニジアでは卵をこぼさず食べる人は
          育ちがいいって言うんですよ」
ううううう。ほっといてください。
やっぱクスクスは大好き。時々無性に食べたくなります。
メインディッシュの「チキンの丸焼き」
ギャルソンに「ぼのくんは慣れてるからはい、ナイフ」
と渡されましたが、僕のものすごい不器用さを
知って言ってるんでしょうか。
とにかく肉を少しこそげ落としたけど、次の
ステップに移るときに戸惑ってしまい、
結局他のみなさんがほとんど切り分けてくれました。
ナイフ練習しよう…。

お店の内部の様子についてのトークから始まって
「肉や野菜の食材が減らないー」とか
「ホームページの更新について」など
非常にまったりしたお食事会になりました。

デザートいただいて、食後の飲み物。
ミントティーとコーヒーで、ギャルソンはミントティーを
薦めていたんですが、僕はついついコーヒーを。
しかし、ミントティーが他のみなさんに大評判。
「おいしい」という言葉が聞こえるたびに
ちょこっと後悔していたりしていました。

いつの間にか10時になってて。最後に記念撮影
してもらって店を出ます。
新大久保駅でターボさん(お気に入り参照)と合流。
しかし、ここでkobaさんとさくさんとはお別れ。
お疲れ様ですー。

3人で高田馬場に移動。どこかで話そうと思ったけど
カフェはもう閉まる時間だしマックやファーストキッチンも。
というわけで、駅前のビリヤード場でビリヤードすることに。
僕はまだ9ヶ月ぶり2回目なんで不安ながらも付いてきます。

とりあえず、ルールが簡単な9ボールをやることに。
ターボさんにブレイクショットしてもらい、開始。
僕は予想以上に調子よく、始めは戸惑ったものの
あんまりファウルすることなく手玉を当てることができ、
「2回目の割にうまいなー」と言ってもらえました。
昨年4月にキューの使い方を根気良く教えてくれた
Mさんありがとうございます…。

1ゲーム目は僕が偶然の産物で勝ち取り、
2ゲーム目はターボさんが上手く狙って勝利します。
3ゲーム目ですが、2番ボールを落とすのにみんな苦戦して
10分ほどもがき苦しみました。

終電の関係で1時間くらいゲームをし、
高田馬場駅でターボさんと解散。お疲れ様です。
新宿でフリスクさんとも解散のはずが、どういう話の展開か
うちに泊まることになり、我が家へ。
昨日、昨日掃除しておいてよかったぁぁぁ!!

テレビ見たりうどんや本読んだりしながら適当に騒ぎ、
夜は更けます。おやすみなさい。
今日はサークルのミーティングがあると言うので、
昼から学校へ。
しかし、僕のほかにはサークル長(予定)の子しか
来てなくて、2人で予定を決めるわけにもいかない、
と言う事で30分雑談で解散。
サークル長(予定)の子は横浜から学校まで
はるばる来たのになぁ…。

結局今日1日ヒマになってしまったので、部屋のお掃除。
「片付け」とはちらかしたものを元あった場所に
収めなおすという単純な行動のはずなのに、
何で僕はこんなことが苦手なのだろう。
洗濯や料理はけっこうマメにやるくせに。

掃除機かけてホコリとりもかけ、本棚片付けて、と。
でも積んだダンボールはしばらく消えそうにない。

夕飯はさくさん(お気に入り参照)に教えてもらった
きんぴらを作る。
ごぼうのささがきはやはり楽しい。
人参のささがきはやはり技が必要。
固いせいかうまく削れず、でかい塊を切り落としたり。
なんとか削り、主菜にするので炒めて牛肉も投入して味付け。
美味しくできて大満足。
ごぼうも無事全部使い切り、一安心。


起きたら、近くの家の屋根に雪が積もってました。
起きたとき、空気が冷たいなー、と思っていたけど
ここまでとは。

今日も今日とて楽器担いでエッサホイサ。
会場の学校が微妙に遠いため、重いもの持っての
移動はまあまあ運動になっているのだろうか。

やった曲は前回と全く同じ。
というわけで今日の一言to楽団。
「もうちょっと休みの多い曲選んでくれ(泣)」
酸欠起こさせる気ですか。

本当は今日はきんぴらの予定だったんだけど、
普段煮物を炊くときは2日分いっぺんに作るんで
25日に牛丼は食べたけど、先週4回ごぼうだったんで
さすがに飽きてくる。
昨日チャットで友人Rと料理話をし、
「肉をソテーしたフライパンでソースを作ろう」
という話で盛り上がったので、今日はチキンソテーに変更。
付け合せにたまねぎとピーマンを炒め、
バター溶かしたフライパンでにんにくを炒めてから
チキン投入。
焼いたフライパンにバターと醤油でソースを作る。
味は、初めて、さらに目分量で作った割りにまぁまぁ。
自分の中では合格かな。
付け合せが炒め足りなくて玉ねぎの甘味が出てなかったのが
ちょっと残念だったけど。

明日こそきんぴらー。



給食は拷問と同一視していいですか?

嫌いなものが多すぎたために、給食は現代の拷問でした。
小学校1,2年は高知に住んでたんですが、そこは
給食はどうしても無理なら残してもいい、という
ルールだったんで、嫌いなものは率先して残してました。
だから、特に不自由ない給食ライフを満喫していたんですが、
小3で香川に帰ってきたときに状況は一変。
給食で嫌いなミニトマトが出てきたときに、今までの
感覚で残そうと思って席を立つと、担任に見咎められて
残さず食べなさい、と言う。
そんなこと言われて仕方なく席に戻るも、皮のあたりの
あの渋さ、酸っぱさに中身のドロドロした青い部分、
半泣きになりながら食べるも限界が近付き、
「あ。」と言いながら落とします。
すでに給食の時間は終わって掃除の時間に入っているから
これで放免だと思って「落としました」と宣告すると
「洗って食べなさい。」

この人はこの世に現われた閻魔かと思いました。
今でも「これが教育か?」と思ってしまいます。
結局ずっとちびちび食べ続け、昼休みが終わる頃に
やっと食べ終わり。
そんな時間に一人給食室に食器持っていくのも
なんか惨めで。

それから、給食をわざと落とす、という方法は使わなく
なったけど、他には梅干を皿でつぶしたり、ひそかに
友達に食べてもらったりいろいろしましたね…。
納豆とかはビニール持参で家に持ち帰り。
漬物とか茄子とか、佃煮、酢の物など持って帰りようの
ないものが出る日は地獄でした。いつまでも食べてます。
郷土料理ながら嫌いなものNo.2に君臨する「醤油豆」
を食べれないで困っているときに、友達に
「腹が痛い言うたらこの前残させてくれたぞ」
と教えてもらったので、「それだけ」残して腹痛を
訴え、「冷たい牛乳全部飲めるくせに?」と
手痛いツッコミ入れられたり。
この時は担任が仏心を見せてくれて残させてくれたんですが。

当時嫌いだったブロッコリーやピーマンは今もう
大好物で喜んで食べてますが、
これは給食のおかげとは全く思いません。
無理やり食べさせられて吐く人もいたわけだし、
他のもので栄養とればいい、て思うのはやっぱ駄目ですか?
泣きながら食べるのを監視するっていう環境は
どうも拒否反応示してしまいます。

無理すれば食べられるようになるものでもないと思うし、
「半分食べればあとは残してもいい」みたいな
ちょっと緩和した規則にしてもいいんじゃないかな、
と思いますがどうでしょう?

※「給食は残してはいけない」という前提が
 あるものとして書いてます。
今日はファンである大黒摩季の横浜でのライブの日だが、
僕は今日は行く気は無かった。お金や用事の関係で。
しかし、普段お世話になっているMさんに
「チケット余ってるけど、買わない?半額でいいよ」
とお誘いを受けたので、用事が早く終われば、ということで
返事保留にしておいた。
今日の用事はレポ提出と、立ち上げたばかりのサークルの
ミーティングである。
ミーティングが終わったのは17時半、開演は18時半。
一縷の望みにすべてを託し、パシフィコ横浜まで
走ることに決めた。

最寄り駅行きの急行バスがちょうど来ていたので飛び乗るが、
この時間の駅前なんて渋滞渋滞渋滞。
結局普通と同じくらいの所要時間で駅に。
しかし、駅からバス停が遠い!少し急ぎ足で歩き、
なんとか着いたばかりの電車に乗り込む。
電車に揺られて桜木町へ。実は降りるの初めて。
友達にメールで行き方を聞いていたのでそれに沿って動く。
このメールには「15分くらいで着くよ」とあったので
走れば5分くらいか?と思って全速力で。

………遠いわパシフィコ横浜!!

エスカレーターを駆け上がり、動く歩道の横の道を
ダッシュ、人ごみをよけながら建物の中を
必死に走り抜ける一人の男。
しかしみなとみらいの端っこに位置するパシフィコは
あまりにも遠すぎる。
途中で息切れを起こしながらも必死で走り、10分ほどで
会場へ。この時点で18時50分。遅刻だ。
チケットを預けていると聞いていたので受付で
受け取り、中へ。もう始まっていて盛り上がっていた。
入り口で席までの行き方を聞くと、
「このドアから入ってまっすぐ、十字路に差し掛かったら
左に曲がって3ブロック行って、そこで右折、
その右側のブロックの真ん中の辺りです。」

遅れてきた者が中に入るだけでも肩身狭いのに、
そこまで突っ切れと…?
そんな厚顔無恥な…。
係員に誘導されなければ、MCに入るまで入り口で
静かに見ていたに違いない。

盛り上がっている方に心の中で謝りながら席に向かい、
疲れを感じながらも来たからには楽しまねば、と
今はさっきまでのことを忘れることにしてライブを楽しんだ。
まだ初日だし、感想は「やっぱ最高!」と
「摩季さんMCに慣れてきたなー」に止めて。

その後、友達と合流して6人でご飯を食べに。
駅前のジョナサンやバーミヤンは金曜のせいか人が
すごかったので、早く食べれるようにと吉牛へ。
並とけんちん汁を食べながら今日の感想を言い合い、
セットリストを作り始める6人。
これはアーティストのファン同士の会話なら普通だと
思うんだが、曲名を短縮しても通じるのだ。
大黒摩季の場合なら、最新曲の「雪が降る前に」なら
「雪」で通じるし、「虹ヲコエテ」なら「虹」で通じる。
だから今日も短縮形で会話ぶっぱなし。
「えーと、ここで雪歌って星(注1)、
そしてLIFE(注2)行って永遠(注3)にFIRE(注4)?」
と他の人には暗号でしかない会話を繰り広げる。
しかも吉牛。店員や他の客はどんな思いで聞いていただろう。

セットリストもできたしお腹は膨れたし、
ここで今日は解散。同じ方面に帰る友達としゃべりながら
帰宅。非常に疲れる1日だったが、楽しい1日でもあった。
でも今は限界間近。おやすみなさい。
2月8日の東京公演ではもっと余裕を持って…。

注1)「starlight〜美しい星に気づかなければ〜」
   8th album”O”収録
注2)「LIFE IS ALIVE」 
   22thマキシ「雪が降る前に」C/W
注3)「永遠の夢に向かって」9thシングル
注4)「FIRE」5th アルバム「LA.LA.LA」収録

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