昔、僕が住んでいた家。
2004年11月2日 日常16年前、まるで城みたいに見えたマンションは、年老いて、何だか今にも泣き出しそうに見えた。
親の転勤で、6歳のときに香川から引っ越してきて、9歳まで住んでいた。
自転車置き場には、壊れた自転車が積み上げられていた。
芝生も草が茂っていた。
きれいなグレーだった壁は薄汚れ、全体を暗く見せていた。
不審者に思われそうだな、と思いながら入り口を入ってみる。
181cmの僕が、頭をこすりそうなほど低い天井。
こんなに小さな作りだっただろうか。
エレベーターにも乗ってみる。
小さい。
中の匂いと、小さな階数表示。
所々に、懐かしい何かが残っているから、昔から変わっていないはずなんだけど。
家の前にあり、よく自転車で下っていた坂も、見てみるとそんなに急でも長くもなく。
坂の上にある、ローラー滑り台しかない公園には子供の姿がなく、鉄で作られたはためかない旗が淋しそうに硬直していた。
近くにある公民館には、部落差別からの解放を訴える幕がかかっていた。
この辺りが昔部落だったことを、僕は全く知らなかった。
1年ほど前に、母から聞いて初めて知ったのだ。
あの当時説明を受けていても、僕は理解できなかっただろうけど。
同じマンションに住んでいた友達の苗字をポストで見つけたけれど、会う勇気は出なかった。
住んでいた205号室は、今では別の人が住んでいるらしく、前を通ることもできなかった。
家の周辺を歩いて、通っていた小学校まで行ってみる。
かつての友達の家は空き家になっていて荒れ果てていた。
一番仲の良かった女の子の家は、住所は覚えていたのに発見できなかった。
兄の入院していた入院患者用の病棟は裏口が塞がれ、精神科や心療内科専門の病棟に生まれ変わっていた。
通学路にあった大きな映画の看板がなく、妙にすっきりしていた。
小学校だけが、昔と全く変わっていないように見えて何だか嬉しかった。
また戻ってきて、すっかり縮こまってしまったようなかつての家を見上げながら、僕は妙な虚しさを覚えていた。
僕は、こんな思いをするために高知に来て、土佐電を乗り継いで、ここまで来たのだろうか……。
親の転勤で、6歳のときに香川から引っ越してきて、9歳まで住んでいた。
自転車置き場には、壊れた自転車が積み上げられていた。
芝生も草が茂っていた。
きれいなグレーだった壁は薄汚れ、全体を暗く見せていた。
不審者に思われそうだな、と思いながら入り口を入ってみる。
181cmの僕が、頭をこすりそうなほど低い天井。
こんなに小さな作りだっただろうか。
エレベーターにも乗ってみる。
小さい。
中の匂いと、小さな階数表示。
所々に、懐かしい何かが残っているから、昔から変わっていないはずなんだけど。
家の前にあり、よく自転車で下っていた坂も、見てみるとそんなに急でも長くもなく。
坂の上にある、ローラー滑り台しかない公園には子供の姿がなく、鉄で作られたはためかない旗が淋しそうに硬直していた。
近くにある公民館には、部落差別からの解放を訴える幕がかかっていた。
この辺りが昔部落だったことを、僕は全く知らなかった。
1年ほど前に、母から聞いて初めて知ったのだ。
あの当時説明を受けていても、僕は理解できなかっただろうけど。
同じマンションに住んでいた友達の苗字をポストで見つけたけれど、会う勇気は出なかった。
住んでいた205号室は、今では別の人が住んでいるらしく、前を通ることもできなかった。
家の周辺を歩いて、通っていた小学校まで行ってみる。
かつての友達の家は空き家になっていて荒れ果てていた。
一番仲の良かった女の子の家は、住所は覚えていたのに発見できなかった。
兄の入院していた入院患者用の病棟は裏口が塞がれ、精神科や心療内科専門の病棟に生まれ変わっていた。
通学路にあった大きな映画の看板がなく、妙にすっきりしていた。
小学校だけが、昔と全く変わっていないように見えて何だか嬉しかった。
また戻ってきて、すっかり縮こまってしまったようなかつての家を見上げながら、僕は妙な虚しさを覚えていた。
僕は、こんな思いをするために高知に来て、土佐電を乗り継いで、ここまで来たのだろうか……。
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