重松清著 『さつき断景』
2003年6月19日昨日は、どんな一日だっただろうか。2限から講義を受けて、サークルに参加して、ファミレスで御飯夕飯を食べて……。自分でも平凡な一日だったと思うが、人生はこういう「平凡な一日」の積み重ねだと思うし、過去のどの「平凡な一日」が欠けても、「今」は成立しないだろう、とも思う。
1995年5月1日、15歳のタカユキは阪神大震災で壊滅した神戸でのボランティアから帰京し、今までの惰性としか思えない生活に終止符を打とうと思った。偶然1本早い電車に乗ったため地下鉄サリン事件を免れた35歳のヤマグチさんは、本当に自分は助かったのか、生きているのかという自己喪失感に包まれていた。57歳のアサダ氏は、娘が嫁ぐ日の最後の一家団欒を実感していた。それから彼らは、2000年までの5年間、どう生きただろうか。
この本は、2000年までの彼らの人生を、「5月1日」だけを切り取って描写したもの。その年に実際に起こった事件の記述を挟みながら語られる彼らの生活は、劇的なことも起こらず淡々と進んでいく。だからこの本は「ドラマを見ている」と言うよりは「彼らの書いた詳述な日記を読んでいる」ような感じだ。それ故に、この本の評価は真っ二つに分かれると思う。盛り上がりがないつまらない本か、とても身近に感じる馴染みやすい本か。
私は後者だったので、この本を一気に読めた。自分自身に不甲斐なさを感じて焦るタカユキ、成長していく娘に困惑するヤマグチさん、巣立ってゆく家族を見て寂しさを隠せないアサダ氏、全てが体験したことで、これから体験するかもしれないこと。彼らの考えることがありありと伝わってくるようで、時に苦しく、時に微笑ましかった。
私は3年ズレるけれども、5年前の1998年5月1日、タカユキと同じ15歳だった。彼が劇的でもない人生を送って5年後、20歳になって「オトナになった」ように、私も劇的でもない人生を歩み、5年後、彼と同じようにオトナになった。
オトナになった……なったのかな?
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重松清 『さつき断景』 祥伝社、2000
1995年5月1日、15歳のタカユキは阪神大震災で壊滅した神戸でのボランティアから帰京し、今までの惰性としか思えない生活に終止符を打とうと思った。偶然1本早い電車に乗ったため地下鉄サリン事件を免れた35歳のヤマグチさんは、本当に自分は助かったのか、生きているのかという自己喪失感に包まれていた。57歳のアサダ氏は、娘が嫁ぐ日の最後の一家団欒を実感していた。それから彼らは、2000年までの5年間、どう生きただろうか。
この本は、2000年までの彼らの人生を、「5月1日」だけを切り取って描写したもの。その年に実際に起こった事件の記述を挟みながら語られる彼らの生活は、劇的なことも起こらず淡々と進んでいく。だからこの本は「ドラマを見ている」と言うよりは「彼らの書いた詳述な日記を読んでいる」ような感じだ。それ故に、この本の評価は真っ二つに分かれると思う。盛り上がりがないつまらない本か、とても身近に感じる馴染みやすい本か。
私は後者だったので、この本を一気に読めた。自分自身に不甲斐なさを感じて焦るタカユキ、成長していく娘に困惑するヤマグチさん、巣立ってゆく家族を見て寂しさを隠せないアサダ氏、全てが体験したことで、これから体験するかもしれないこと。彼らの考えることがありありと伝わってくるようで、時に苦しく、時に微笑ましかった。
私は3年ズレるけれども、5年前の1998年5月1日、タカユキと同じ15歳だった。彼が劇的でもない人生を送って5年後、20歳になって「オトナになった」ように、私も劇的でもない人生を歩み、5年後、彼と同じようにオトナになった。
オトナになった……なったのかな?
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重松清 『さつき断景』 祥伝社、2000
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