重松清著 『流星ワゴン』
2003年3月12日後悔しない人間なんて、いない。あの時ああやっていれば、こうしていれば、という後悔と苦悩を抱えて、そしてそれを乗り越えて人は成長していくものだと私は信じている。特に重いものは、一生抱え込んで生きていくのが最大の償いかもしれない、と思うときもある。
38歳の和夫はリストラによる職探し、離婚を迫る妻、中学受験に失敗した後不登校、DVをも引き起こした息子との問題を抱えていた。「もう死んでもいい……」と思いながら駅前ベンチに座っていると、目の前にワインレッドのオデッセイが現れ、車に乗せられる。その車を運転している橋本さんと助手席の健太君、5年前の事故で亡くなっている筈の2人は和夫を今までの人生での「たいせつな場所」に連れて行くと言う。戻った過去で出会ったのは、大嫌いな、今故郷の病院で危篤状態のはずの父だった。ただし、38歳の。
過去の世界をさまようことで、自分が如何に家族のことをわかっていなかったか思い知らされることになる和夫。彼の未来を変えようとする努力は虚しくも空回りし続けるのだが、そのことに苦しみつつも初めは憎んでいた家族の裏切りとも言える行為(この言葉を使うには和夫のエゴを認める必要があるが)を容認し、それを承知の上で何とか未来を変えることができないかと方法を模索する和夫の姿はとても死のうと考えていた「和夫」と同一人物とは思えない。容貌の描写はないが、はじめと比べて男前に見える。
和夫は38歳の父親とも衝突することに。現実の父は63歳だが、この父は38歳で記憶が止まっていて、それは和夫と父が仲違いをする前だった。その後の展開と当時の和夫がどのように父を見ていたか、それを聞かされる。今まで秘めていた和夫の胸の内がストレートに父にぶちまけられ、父は健太君や和夫の息子の広樹と話すときに和夫に対する思いを語り、橋本さんの車に乗ってきた父は和夫の見たことのないような姿を曝け出す。この時、親子間で凍っていた関係が動き出した。結局、この親子もお互いのことをほとんど知らない者同士だったのだ。
そしてこの話は、健太君の物語でもある。8歳で自分の人生を終えることになった健太君が成仏するには、自分の死を受け入れることが必要だった。受け入れる為の過程は、8歳の子供には辛すぎることばかりで、その度に傷ついていく健太君の姿には胸が痛む。そして、ずっと健太君を「殺してしまった」と後悔している橋本さん、彼も、後悔の犠牲者だった。「橋本健太という少年がいたことを、決して忘れない」ために永遠に成仏せずにさまよおうとするその姿は、とても切ないものだった。
一篇の物語に、後悔する3人の親と、3組の親子の絆が見える。3組の親子のストーリーを上手に絡ませるこの技巧は見事としか言いようがない。
健太君の言う「サイテーサイアクの現実」に戻った和夫は、もう一度家族の絆を取り戻す為に立ちあがることができた。もしあなたがどうしようもなく死にたいと思っているならば、終電後の駅前に佇んでみたらどうだろう。もしかしたら、温和な父親とちょっと生意気な少年が車に乗せてくれるかもしれない。ただし、乗る勇気があるなら。
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重松清著 『流星ワゴン』 講談社、2002
38歳の和夫はリストラによる職探し、離婚を迫る妻、中学受験に失敗した後不登校、DVをも引き起こした息子との問題を抱えていた。「もう死んでもいい……」と思いながら駅前ベンチに座っていると、目の前にワインレッドのオデッセイが現れ、車に乗せられる。その車を運転している橋本さんと助手席の健太君、5年前の事故で亡くなっている筈の2人は和夫を今までの人生での「たいせつな場所」に連れて行くと言う。戻った過去で出会ったのは、大嫌いな、今故郷の病院で危篤状態のはずの父だった。ただし、38歳の。
過去の世界をさまようことで、自分が如何に家族のことをわかっていなかったか思い知らされることになる和夫。彼の未来を変えようとする努力は虚しくも空回りし続けるのだが、そのことに苦しみつつも初めは憎んでいた家族の裏切りとも言える行為(この言葉を使うには和夫のエゴを認める必要があるが)を容認し、それを承知の上で何とか未来を変えることができないかと方法を模索する和夫の姿はとても死のうと考えていた「和夫」と同一人物とは思えない。容貌の描写はないが、はじめと比べて男前に見える。
和夫は38歳の父親とも衝突することに。現実の父は63歳だが、この父は38歳で記憶が止まっていて、それは和夫と父が仲違いをする前だった。その後の展開と当時の和夫がどのように父を見ていたか、それを聞かされる。今まで秘めていた和夫の胸の内がストレートに父にぶちまけられ、父は健太君や和夫の息子の広樹と話すときに和夫に対する思いを語り、橋本さんの車に乗ってきた父は和夫の見たことのないような姿を曝け出す。この時、親子間で凍っていた関係が動き出した。結局、この親子もお互いのことをほとんど知らない者同士だったのだ。
そしてこの話は、健太君の物語でもある。8歳で自分の人生を終えることになった健太君が成仏するには、自分の死を受け入れることが必要だった。受け入れる為の過程は、8歳の子供には辛すぎることばかりで、その度に傷ついていく健太君の姿には胸が痛む。そして、ずっと健太君を「殺してしまった」と後悔している橋本さん、彼も、後悔の犠牲者だった。「橋本健太という少年がいたことを、決して忘れない」ために永遠に成仏せずにさまよおうとするその姿は、とても切ないものだった。
一篇の物語に、後悔する3人の親と、3組の親子の絆が見える。3組の親子のストーリーを上手に絡ませるこの技巧は見事としか言いようがない。
健太君の言う「サイテーサイアクの現実」に戻った和夫は、もう一度家族の絆を取り戻す為に立ちあがることができた。もしあなたがどうしようもなく死にたいと思っているならば、終電後の駅前に佇んでみたらどうだろう。もしかしたら、温和な父親とちょっと生意気な少年が車に乗せてくれるかもしれない。ただし、乗る勇気があるなら。
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重松清著 『流星ワゴン』 講談社、2002
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