棟上げの思い出。
2003年1月30日 なんとなく、棟上げに行きたくなった。
棟上げにも地域差があるので書いておくと、上棟式や建前とも呼ばれるもので、僕の地方では棟上げの日に骨組みの最上段に上って餅、お菓子、お金などを撒くのである。それを親戚や近所の人が拾い合う。小さい頃には棟上げがあることを聞くと、よく駆けつけてお菓子を奪い合ったものだ。行ってみるともう終わっていたときにはとても損したような気分になった。
時に豪華な棟上げもある。小学校の3年の頃だったろうか、近所で棟上げがあったので参加した。始めに儀式を済ませ、家の人や大工さんが餅をばら撒き始めた。餅や菓子はほとんど取れなかったのだが、そのとき札がばら撒かれ始めた。札は蒲鉾板みたいなもので、重いなどの理由でばら撒けないものが書かれてある。僕の目の前にそれが投げられたので慌てて拾った。「スーパーファミコンとか書いてないかなー♪」とわくわくしながら裏返した札には「清酒一升」などと書かれていて、そううまく行かない人生のことを考えながら誰も飲まない清酒を持って帰った。
取る方はまさにお祭り騒ぎになる棟上げだが、投げるほうも本当に楽しい。一度親戚の家が新しく建てられたとき、拾うつもりで棟上げに行くと伯父が梁の上にあげてくれた。ダンボールの中の餅やお菓子を力いっぱい放り投げる。それに群がる子供・大人たち。何だか神にでもなったような気分ではないか。終始笑顔だった気がする。
もう5年ほど棟上げに行っていない。親戚も実家も家を建てる様子はないし、今住んでいるところは棟上げで餅撒きを行わないようだ。また楽しみたいものだ。
そう言えば、最近のカレンダーには赤口とか大安とか全く書いていないのですっかりその存在を忘れていたのだが、今でも「三隣亡」を気にしている人はいるのだろうか。僕は思い出してしまったので間違いなくこの先も気にすると思う。縁起を担ぎたいのだ。
棟上げにも地域差があるので書いておくと、上棟式や建前とも呼ばれるもので、僕の地方では棟上げの日に骨組みの最上段に上って餅、お菓子、お金などを撒くのである。それを親戚や近所の人が拾い合う。小さい頃には棟上げがあることを聞くと、よく駆けつけてお菓子を奪い合ったものだ。行ってみるともう終わっていたときにはとても損したような気分になった。
時に豪華な棟上げもある。小学校の3年の頃だったろうか、近所で棟上げがあったので参加した。始めに儀式を済ませ、家の人や大工さんが餅をばら撒き始めた。餅や菓子はほとんど取れなかったのだが、そのとき札がばら撒かれ始めた。札は蒲鉾板みたいなもので、重いなどの理由でばら撒けないものが書かれてある。僕の目の前にそれが投げられたので慌てて拾った。「スーパーファミコンとか書いてないかなー♪」とわくわくしながら裏返した札には「清酒一升」などと書かれていて、そううまく行かない人生のことを考えながら誰も飲まない清酒を持って帰った。
取る方はまさにお祭り騒ぎになる棟上げだが、投げるほうも本当に楽しい。一度親戚の家が新しく建てられたとき、拾うつもりで棟上げに行くと伯父が梁の上にあげてくれた。ダンボールの中の餅やお菓子を力いっぱい放り投げる。それに群がる子供・大人たち。何だか神にでもなったような気分ではないか。終始笑顔だった気がする。
もう5年ほど棟上げに行っていない。親戚も実家も家を建てる様子はないし、今住んでいるところは棟上げで餅撒きを行わないようだ。また楽しみたいものだ。
そう言えば、最近のカレンダーには赤口とか大安とか全く書いていないのですっかりその存在を忘れていたのだが、今でも「三隣亡」を気にしている人はいるのだろうか。僕は思い出してしまったので間違いなくこの先も気にすると思う。縁起を担ぎたいのだ。
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