三題噺:温泉、バウムクーヘン、松井山手
2002年11月27日ーーーそうだ。松井山手に行こう。
何故こう思ったのかは、自分でも上手く説明できない。
5歳から親の転勤でアメリカに住んでいた俺は、
日本の地理や文化には全く詳しくない。
19になった今年、念願の京都に2週間の滞在することができ
はじめ1週間で京都の主だった史跡は巡ってしまった。
あと1週間、どうしようかと考えてJRの路線地図を見ていると
滋賀県に「草津」の文字が。
もしかしたら、温泉があるかも知れないと思って
行ってみたが、話にばかり聞いていた草津温泉は
群馬県だと言うじゃないか。
興ざめしつつ、どうしようかと考えてまたJRの路線地図を
覗き込むと、目に飛び込んできた「松井山手」
何だかとても惹かれてしまい、瞬間的に「行こう」と決めた。
松井山手についたのは、14時ごろだった。
ここ数日、雨が降っていないのでただでさえ乾燥しているのに
風も強い。冬が近付いてきた、と感じる。
駅から少し歩いたところで、そういえば昼飯も
食べていないことに気がついた俺は、おもむろにバッグから
京都で美味しいと評判の店で買ってきたバウムクーヘンを取り出した。
近くに見つけた公園のベンチに腰掛けて頬張っていると
向かい側のベンチに座っている少女が、ずっと俺のほうを
見つめているのに気がついた。
茶色のワンピースを着た、大人しそうな風貌の子だ。
とにかくじっと見つめてくるので、どうしたのだろうと思い
声をかけてみた。
「俺に、何か用ですか。」
「え…いいえ、ただ、それ。」
「ん?このバウムクーヘンか?」
「はい。えっと…バウムクーヘン、好きですか?」
「…あぁ、どちらかというと、好き、かな。」
そう言うと、少女はとても嬉しそうに微笑んで
「美味しいですよね」と言ったと思ったら、今度は
伏目がちになって淋しそうな顔を作った。
(変な子だな…)
そう思った。いきなり聞くことが
「バウムクーヘン好きですか?」
だなんて。何を考えているんだろう。
すると、今度は「この辺に住んでいる方ですか?」
急に、まともといえばまともな質問をしてきたので
驚きつつ、旅行で来ていることを話した。
それからは、少女の質問攻めに答えることになってしまった。
家族のこと、好きなもの、今までの思い出…。
どうせ俺も暇だったから、つきあってやっていた。
暗くなってきて、俺がそろそろ宿に戻るよ、と切り出すと、少女は
「お願いがあるんです。また明日も会ってくださいませんか」
と言ってきた。
「何で?」
「今はお話できません。明日、詳しくお話いたしますから」
本当なら付き合う義理もない。だが、何故だろう。
明日も予定がないから、というのもあるのだろうが
もう一日、相手してやってもいいかと思い、
翌日の昼頃、今日と同じ場所で会うことを約束した。
翌日。相変わらず風が強い。
いつもの公園に行くと、少女が待っていた。
いつもの茶色のワンピース姿で。
しかし今日はどことなく落ち着かない様子で、
俺が近付くと嬉しそうな、そわそわしたような
妙な表情を浮かべて、矢継ぎ早に切り出した。
「ねぇ。話があるの。聞いてくれる?」
「あぁ、いいけど。何だい。」
「この前ね、このベンチに男の子が座っていたの。
手にはバウムクーヘンを持っていた。それが私。」
「………は?」
「男の子は袋を破って、私を手にとったら一気に
かぶりついてきたの。それまではいいのよ。
私は食べ物なんだし、それは自然なこと。
でもね、この男の子は私の味が口に合わなかったみたいで
『まずっ!』て叫んで、私を地面に投げ捨てたのよ。
ちょうど、このベンチの下にね。ひどいよね。」
「こら、さっきから一体何の話をしてるんだ?」
「人の味覚はいろいろなものがあるとわかってる。 どうしても食べられないものがあるということもわかってる。
でも私は食べて欲しかった。美味しいと言われたかった。
けどそれももう叶わない。私はもういなくなるのだから!」
「落ち着けよ!一体さっきから何言ってるんだよ!」
再び俺が、今度は叫ぶように少女を止めると、
少女は我に返ったような表情を見せ、俯いて
「ごめんなさい…」
と謝った。
「でもね、嘘は言ってないの。私はもう消えてしまう。
食べ物として生まれたのに、食べられないまま。
このままじゃ何のために生まれてきたのかわからない。
だから、どうにかして生まれてきた意味を見出そうとしたの。
それが、誰かに私のことを覚えておいてもらおう、てこと。
信じていいかな。私のこと、覚えていてくれるかな。」
「おい…だから何を言ってるんだよ。さっぱりわからないよ…」
「もう時間。お願い、私のこと、忘れないで。約束」
少女は、全ての言の葉を言い尽くさないまま、
俺の目の前から姿を消した。
「何で…何でなんだよ…」
だが少女は俺の目の前で消えた。これは嘘じゃない。
「少年は私を投げ捨てた」と少女ははっきり言った。
もしかして、と思って少女の座っていたベンチの下を覗くと
口の開いた、バウムクーヘンの袋が見つかった。
中身はまだ入っている。
折からの強風ですっかり乾ききったバウムクーヘンは
持ち上げるとすぐにボロッ、と崩れた。
袋の賞味期限を見ると、まだ切れてはいなかった。
この乾いた空気と強風が、彼女の命を縮めたのか。
「でも私は食べて欲しかった。美味しいと言われたかった」
俺はバウムクーヘンにかぶりついた。
砂や塵埃も気にせず、一気に食べ尽くした。
「ほら…とても美味かったよ。これで満足だろ?」
何となしに呟いた。
ふと、今までのような突き刺すような寒風ではなく、
柔らかな風がそっと吹いてきた。
とても甘い香りがしたような気がした。
何故こう思ったのかは、自分でも上手く説明できない。
5歳から親の転勤でアメリカに住んでいた俺は、
日本の地理や文化には全く詳しくない。
19になった今年、念願の京都に2週間の滞在することができ
はじめ1週間で京都の主だった史跡は巡ってしまった。
あと1週間、どうしようかと考えてJRの路線地図を見ていると
滋賀県に「草津」の文字が。
もしかしたら、温泉があるかも知れないと思って
行ってみたが、話にばかり聞いていた草津温泉は
群馬県だと言うじゃないか。
興ざめしつつ、どうしようかと考えてまたJRの路線地図を
覗き込むと、目に飛び込んできた「松井山手」
何だかとても惹かれてしまい、瞬間的に「行こう」と決めた。
松井山手についたのは、14時ごろだった。
ここ数日、雨が降っていないのでただでさえ乾燥しているのに
風も強い。冬が近付いてきた、と感じる。
駅から少し歩いたところで、そういえば昼飯も
食べていないことに気がついた俺は、おもむろにバッグから
京都で美味しいと評判の店で買ってきたバウムクーヘンを取り出した。
近くに見つけた公園のベンチに腰掛けて頬張っていると
向かい側のベンチに座っている少女が、ずっと俺のほうを
見つめているのに気がついた。
茶色のワンピースを着た、大人しそうな風貌の子だ。
とにかくじっと見つめてくるので、どうしたのだろうと思い
声をかけてみた。
「俺に、何か用ですか。」
「え…いいえ、ただ、それ。」
「ん?このバウムクーヘンか?」
「はい。えっと…バウムクーヘン、好きですか?」
「…あぁ、どちらかというと、好き、かな。」
そう言うと、少女はとても嬉しそうに微笑んで
「美味しいですよね」と言ったと思ったら、今度は
伏目がちになって淋しそうな顔を作った。
(変な子だな…)
そう思った。いきなり聞くことが
「バウムクーヘン好きですか?」
だなんて。何を考えているんだろう。
すると、今度は「この辺に住んでいる方ですか?」
急に、まともといえばまともな質問をしてきたので
驚きつつ、旅行で来ていることを話した。
それからは、少女の質問攻めに答えることになってしまった。
家族のこと、好きなもの、今までの思い出…。
どうせ俺も暇だったから、つきあってやっていた。
暗くなってきて、俺がそろそろ宿に戻るよ、と切り出すと、少女は
「お願いがあるんです。また明日も会ってくださいませんか」
と言ってきた。
「何で?」
「今はお話できません。明日、詳しくお話いたしますから」
本当なら付き合う義理もない。だが、何故だろう。
明日も予定がないから、というのもあるのだろうが
もう一日、相手してやってもいいかと思い、
翌日の昼頃、今日と同じ場所で会うことを約束した。
翌日。相変わらず風が強い。
いつもの公園に行くと、少女が待っていた。
いつもの茶色のワンピース姿で。
しかし今日はどことなく落ち着かない様子で、
俺が近付くと嬉しそうな、そわそわしたような
妙な表情を浮かべて、矢継ぎ早に切り出した。
「ねぇ。話があるの。聞いてくれる?」
「あぁ、いいけど。何だい。」
「この前ね、このベンチに男の子が座っていたの。
手にはバウムクーヘンを持っていた。それが私。」
「………は?」
「男の子は袋を破って、私を手にとったら一気に
かぶりついてきたの。それまではいいのよ。
私は食べ物なんだし、それは自然なこと。
でもね、この男の子は私の味が口に合わなかったみたいで
『まずっ!』て叫んで、私を地面に投げ捨てたのよ。
ちょうど、このベンチの下にね。ひどいよね。」
「こら、さっきから一体何の話をしてるんだ?」
「人の味覚はいろいろなものがあるとわかってる。 どうしても食べられないものがあるということもわかってる。
でも私は食べて欲しかった。美味しいと言われたかった。
けどそれももう叶わない。私はもういなくなるのだから!」
「落ち着けよ!一体さっきから何言ってるんだよ!」
再び俺が、今度は叫ぶように少女を止めると、
少女は我に返ったような表情を見せ、俯いて
「ごめんなさい…」
と謝った。
「でもね、嘘は言ってないの。私はもう消えてしまう。
食べ物として生まれたのに、食べられないまま。
このままじゃ何のために生まれてきたのかわからない。
だから、どうにかして生まれてきた意味を見出そうとしたの。
それが、誰かに私のことを覚えておいてもらおう、てこと。
信じていいかな。私のこと、覚えていてくれるかな。」
「おい…だから何を言ってるんだよ。さっぱりわからないよ…」
「もう時間。お願い、私のこと、忘れないで。約束」
少女は、全ての言の葉を言い尽くさないまま、
俺の目の前から姿を消した。
「何で…何でなんだよ…」
だが少女は俺の目の前で消えた。これは嘘じゃない。
「少年は私を投げ捨てた」と少女ははっきり言った。
もしかして、と思って少女の座っていたベンチの下を覗くと
口の開いた、バウムクーヘンの袋が見つかった。
中身はまだ入っている。
折からの強風ですっかり乾ききったバウムクーヘンは
持ち上げるとすぐにボロッ、と崩れた。
袋の賞味期限を見ると、まだ切れてはいなかった。
この乾いた空気と強風が、彼女の命を縮めたのか。
「でも私は食べて欲しかった。美味しいと言われたかった」
俺はバウムクーヘンにかぶりついた。
砂や塵埃も気にせず、一気に食べ尽くした。
「ほら…とても美味かったよ。これで満足だろ?」
何となしに呟いた。
ふと、今までのような突き刺すような寒風ではなく、
柔らかな風がそっと吹いてきた。
とても甘い香りがしたような気がした。
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