帰っていった。

2002年9月22日
起きると11時。
先輩「久しぶりに熟睡した…」
朝から心臓に悪いセリフを耳に入れた。

しかし僕は普段の生活が祟って昨夜もなかなか眠れなかったため、
「今日のプラン決まったら言ってください」とだけ言って
まだ布団でぐずぐずしていた。すると
「羽田空港行かん?」
………なんでやねん。

話を聞くと、蒲田のあたりが線路か道路か何かが
立体交差になる計画があるらしく、その現場を見たいとか。
そんな先輩ははい。鉄ちゃんです。
その後は理由があって上野に行きたいらしい。

上野はいいとして、羽田空港だけは本気で勘弁して欲しかった。
連休の最後の日であるし、混雑は免れそうもないし
鉄道も立体交差も大きな興味はない。
そこで、3時半に上野合流にしてもらう。
先輩は元気よく出かけていった。
玄関を開けると同時に「おー明るい!」と叫んで。
うちは北向きの窓にカーテンを引いていたので中は少し薄暗かった。

僕はゆっくり起き上がり準備をして、電車の時間に合うように
駅前の松屋で昼飯を食べていこうと出て行くと、
僕が券売機にたどり着く一歩前で、券売機が
近所の高校の野球部らしき面々10数人に占領された。

えーと。これはマンガですか?
電車に間に合わなくなるではないか。

仕方なく方向転換。近所のサンドイッチ屋で2つ購入、
上野のホームで食べようと思っているとメールが。
「やっぱり4時待ち合わせにしよう」

もう10分早く言ってくれ…。

家でサンドイッチを食べ、4時くらいに着きそうな時間の電車で
上野に向かうが、これが特急や快速の待ち合わせの多い
電車で遅刻決定。ふう…。
しかも、僕の座っていたシートの近くに一人ブツブツ言いながら
数本持ってるペットボトルの中身を入れ替えたりまとめたり
空いたペットボトルをはさみで切ったり
ペットボトルでドアをぶん殴るおじさんが。

何で今日はこんな目にばっかりあってるんですか?
上野についた頃には、正直精神的ダメージが多すぎて
頭痛起こしそうになっていた。とにかく休みたかった。

上野で先輩と合流。目的は
「寝台車をカメラに収めたい」
僕はカシオペアや北斗星などを収める先輩を遠目で見つつ、
寝台車を窓から覗いていた。
冬、寝台車で帰省してみたいな。
料金はほとんど変わらないのだ。

次は東京駅だという。理由を聞くと、
「寝台車を(以下略)」
熊本・長崎行きは東京駅発なのか。そうなのか。

東京駅に着いてから35分待ちだったので
僕は壁にもたれかかりながら家から持ってきた新聞を読んで、
「敷居の住人」というマンガを読んで時間を潰す。
特に人生に夢も希望も持ってない、でも死ぬ気もない、
毎日をなるように過ごしている少年が主人公のこの話、
そんな主人公がいろいろあって、ちょっとずつ変わっていく
その過程とモノローグが僕の波長にぴったりあって
とてもおもしろかった。

読み終わって、風が冷たかったので自販機の陰に
座り込んだが、ほとんど変わらなかった。

先輩が帰ってきたので駅の大丸でお土産を買うのに付き合い、
夕飯を奢っていただいた。
「何がいい?」と言われたのでカタコトで「スーシー」と言うと
勘弁してくれ、と言う。トンカツを奢ってもらう。
メンチカツと一口カツ定食。
僕は少ないおかずでご飯をたくさん食べれるので
メンチカツ一切れで1杯平らげると先輩が驚いていた。
そしてお変わり自由のご飯、味噌汁を味噌汁だけお変わりすると
変わった奴だなと言われた。蜆の味噌汁好きなのだ。

食後、また本屋で時間を潰す。
先輩の帰る寝台車は22時半発だったのでとても待っていられない。
8時過ぎに先輩の無事を祈りつつ解散した。

お互い、我が強いので振り回して振り回された2日間、
楽しかったと言えば楽しかったのかも知れぬ。

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